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【小波の京女日記】


2013年03月25日 人工放射線は自然放射線よりも危ないか [長年日記]

_ 人工放射線は自然放射線よりも危ないか

一昨年の原発事故以来,時々紹介されている市川定夫氏の講演のビデオがある. 「5分で分かる『自然放射線』と『人工放射線』のちがい/市川定夫氏」]と題されているものである. この講演の趣旨は,自然放射線に生物が進化の過程で適応しているので安全であるが,人工放射線についてはそうでないというものだ.しかし,ちゃんと聞くととても単純な誤りを犯していることが明らかだ.

原発事故から2年以上過ぎても,まだこんな誤りを信じている人がいるようだし,彼のビデオの発言をその根拠にしている人も多いらしい(コメント欄に「これですっきりした」とか書かれているのを見ると落胆を禁じ得ない).したがって,彼がどう誤ってしまったかを,以下で指摘しておきたい.長いが,基本を押さえつつ書いてある.

放射線とは何か

さまざまの放射性原子核から放射線が放出される仕組みは,基本的に共通の物理的原理にもとづいている.わかりやすく言えば,原子核を構成する陽子と中性子の組み合わせの中には落ち着きの悪いものがあり,一定の確率で何らかの自発的な核反応を引き起こして安定化しようとする.

その反応には何種類かのものがあるが,α線,つまりヘリウム原子核の放出と,β線,つまり電子の放出が代表的なものである.またほとんどの場合に,余ったエネルギーを高エネルギーの光子(ガンマ線)として放出する.このことは天然の放射性同位体であろうと,原子炉や核爆弾で作られる人工放射性同位体であろうと,まったく変わりがない.ただし,反応の種類や発生するエネルギーの違いがあるので,比較的安全な場合と危険な場合はありうる.一般的に言えば電荷をもつα線やβ線は遮蔽しやすく,ガンマ線は遮蔽しにくい.

放射線が危険なのは,それが細胞を構成する分子を破壊するからである.その理由はエネルギーの大きさを考えると簡単に理解できる.なお分子とここで言っているのは,具体的にはタンパク質や脂肪や核酸などのことだ.分子の中では原子同士が化学結合によって結びついている.

放射線のエネルギーの強さは,大雑把に言って Mev を単位として測られる.一方,分子の中で原子を結びつけている結合の強さは,大体 eV というところだ.

eV だの MeV だのという単位にはなじみのない人も多いだろうから,もう少しわかりやすく説明しよう. eV というのは, electron volt, 直訳して電子ボルトと呼ばれる単位で,電子1個が 1 V の電圧で加速されるときに得るエネルギーを意味する.これもたぶん分かりにくい定義だろうから,もっと具体的に考えよう.

化学エネルギーは1〜3Vという目安が電池でわかる

普通のマンガン乾電池やアルカリ乾電池の電圧は,ほぼ 1.5 V だ.これは電池の側面の表示に必ず書いてある.この電圧だと,物によっては電気分解を起こすことができる.中学の理科でやるような水の電気分解だと 5 V 程度必要だ.電気分解というのは,化合物やイオンの中の電子を電気的な力で(つまり電圧をかけて)無理やり引っ張り出すという荒わざなんだね.そのための力が, V という単位で測れるほどの電圧でもたらされて,電子が移動するわけだ.

つまり,原子を化学的に結びつけている電子は,なんとかボルトという程度の電圧で引っ張り出すことができる.電子が1ボルトの電圧によって得るエネルギーが 1 eV だから,化学結合の強さもだいたいその程度と考えておけばよい.

そもそも電池というのは化学反応つまり化学結合の組み換えによるエネルギーを取り出す仕組みだ.私たちが使っている電池の電圧がニッケル水素電池の 1.2 V からリチウムイオン電池の 3 V 程度であることは,化学反応のエネルギーがその程度であることから来ている.

放射線のエネルギーを測るのに使われる MeV は million electron volt, つまり100万電子ボルトのことだ.つまり,化学反応のエネルギーと放射線のエネルギーには,ケタちがいもケタちがい,とんでもない開きがあるわけだ.柔らかい粘土をライフル銃で打つみたいな状況を考えればよいかもしれない.

放射線は化学結合を問答無用に破壊する

つまり,放射線のエネルギーの大きさであれば,分子の中の化学結合を問答無用でぶった切ることができる.猛烈なエネルギーで電子を弾き飛ばすことで,結合が不安定になった分子はさらにばらばらになるし,弾かれた電子も水分子などを叩いてイオンを作り出す.

結果として,細胞の中の分子が壊されてしまう.これが放射線による害の本質だ.人工だろうが天然だろうが,放射線は容赦なく細胞内の物質を破壊する.幸い,修復機構が働くので,ある程度までは問題にならないが,もろに壊れるような強烈な破壊によって早い死に至ることもあるし,修復に失敗してガンが発生することもある.

ここまでの話については,市川氏もまったく同意するであろう.彼の主張は別のところから出発するのだから.

_ 市川氏の論理

市川氏は講演の冒頭で,「自然放射性核種」と「人工放射性核種」と黒板に大書し.自分はかつて,物理的にこれらの違いはないという言い分を認めていたと自認する.しかし,そのあとで,生物の進化を考えるとそうではないという結論に至ったそうだ.

それによると,放射性カリウムのような自然の放射性物質については,生物はそれを蓄えないように進化した.このことをもって彼は,生物はこの種の自然放射線に適応していると結論付ける.

生物進化は有害な放射線を無害にしたわけではない

これについては2つの点を指摘したい.

まず,これの前提になっていることは,自然の放射線であっても生体に有害であるということだ.ただそれが環境中にずっとあったのだから,それでも 適応できた生物が残ってきた.常識的な進化の考え方である.自然の放射線は問題ないという主張は,彼もしているわけではない.

もう1つ,市川氏は,その適応の中身として,生物はカリウムを蓄積しなくするように進化したと言っているわけだ.ということは,かつては蓄積していたのに今は蓄積しなくなってきたということになるだろう.が,それは無理だ.

ちょっと化学や生化学をかじればすぐに分かるように,カリウムは生体の中で非常に重要な働きを担っていて,存在量もかなり多い.また,きわめて水に溶けやすいイオンになり,他の元素と共有結合することもない.とても溶けやすいし生体の分子に捕まることもない元素なのだ.

つまりカリウムが生物に蓄えられないのは,市川氏が主張するようにそれが有利だから進化してきたという理由では,全然ない.生物進化といえども,きわめて溶けやすく移動しやすいというカリウムイオンの化学的な振る舞いを変えることなどはできない.

市川氏は自然放射線の危険も論理的には認めている

この議論の中で,図らずも市川氏は,放射性カリウムといえども有害であることを認めている,生物はその害を減らす方向に進化して来ていると言っているだけである.

そうは言っても,カリウムを蓄積しないようになんかできないのだから,できそうなことはカリウムの必要量を減らす方向に代謝系をシフトすることぐらいなものだろう.でも必須元素なので,大人の体なら100グラムほどもあるし,植物の体を燃やせばカリウムの酸化物が灰として残るのだ.

とうことは,彼の進化的な観点からの論理にしても,体内の放射性カリウムから発生する放射線のレベルになら,生物は適応できているということでしかない.それが自然放射線であろうとなかろうと関係はないのだ.

ついでにいうと,このことは私たちが許容出来る放射性物質の取り込みの最大値の目安を与えてくれるものだ.人の体内の放射性カリウムからの放射線は3000ベクレルあまりだから,毎日の取り込む量と生物学的半減期を考慮して,基準を決めることになる.

セシウムとヨウ素をアナロジーで議論するのは無理

彼の主張にもどろう.セシウムについて言及するところで,彼の話は再びおかしくなる.

セシウムはカリウムと(化学的に)同じだから,人体にはいっても何ら問題ない.しかし放射性のセシウムは原子炉で作り出すものだから,(ヨウ素と同じように)じわじわじわじわ蓄えられる.

ヨウ素とセシウムの議論を類推的に進めて同じ結論を導こうというわけだ.しかし,ここではアナロジーは成立しない.

まず,ヨウ素は甲状腺ホルモンという化合物を構成する元素であって,そのために甲状腺に集められてホルモン合成に利用される.だから放射性のヨウ素があればそれも同様に濃縮される.

しかしセシウムはそもそも生体にとって必要な元素ではなく,濃縮されたり蓄えられたりはしないのだ.セシウムが体に取り込まれるのは,類似の元素であるカリウムと一緒に混じり込むのであって,カリウムと同様にアルカリ金属イオンとして動きまわり,そして排出される.このことはすでにこの日記で昨年書いていることなので,詳しくはそれを読んでみてほしい.

実は,放射性セシウムの厄介さは,土壌中からなかなか消えていかない,頑固な環境放射線の元凶になっていることなのだ.それがために福島県の多くの地域で未だに高い空間線量が現れ,人が住むには危険な場所もまだあるということ,これが最大の問題なのであって,そのことについては私たちは決して忘れてはいけない.あと100年間,放射性セシウム137の監視を,私たちは義務付けられてしまっているのだ.こいつは半減期が30年なので,物理的には1/10に下がるのに100年かかるというわけだ.

むしろ外部からの環境放射線の方がこわい

市川氏がこのビデオで言っていないことについて考えておこう.彼の話は一貫して体内に取り込まれる放射性物質による内部被曝だけを問題視している.

ガンマ線にとっては人間の体の厚みなど素通しだということを彼は分かっているのだろうか?上に書いたように,2011年3月に降った放射性物質のうち,現在最も深刻な汚染を引き起こしているのは,大地に降って土壌に固定されてしまったセシウム137である.

それがあるので現在の食品の規制はきわめて包括的で,東北と北関東の各地で産する農作物や水産物は生産者と自治体によって徹底的に検査されている.そこで検出されるケースはすべてセシウムからの放射線である.幸いにして不検出も多く,私たちも安心できるのだが.

そのことを考えると,現在の時点で警鐘を鳴らし続けなければならないのは外部からの被曝である.市川氏のこの講演は,仮に正しいと仮定してさえも,現状に対してなんの解決策ももたらさないのである.もっとも何十年も昔の講演で,今の事態とは関係ない状況で話しているのだから,彼が責任を負うものではない.

天然放射性核種との比較を市川氏はしていない

さて,この講演の趣旨は「人工放射線は天然のものよりも危険だ」という結論を出すためにやっているはずである.ところがビデオのどこを聞いても,天然の核種からの放射線の危険性について,市川氏は「それは進化の中で適応しているから問題はない」と切り捨てているのである.

天然の放射性核種はいくつもある.生体内にあるカリウム40はその代表的なもので,環境放射線に対する寄与も大きい.日本の花崗岩を産する地域では,そのために自然放射線の線量が高い.その線量でも,体内のカリウム40による被曝からすると小さいのだが.

現実に天然の放射性物質で問題にされているのは,ラドンである.これはレベル次第では肺がんのリスクを高めて危険であるということになりつつあり,地域によっては有効な対策をとるべきという見解を WHO が出しているほどなのだ.それに関してはこの WHO の文書(日本語,PDF)を読んでほしい.幸い,日本ではリスクは低い.

こう見てくると,市川氏の議論は,現在の科学知識やちゃんとした論理から逸脱してしまっていることが明らかだ.

生物が放射線に適応してきた実質は何か

進化的な適応の議論から自然放射線は問題ないとする市川氏の議論は「問題あり」を前提にしているという論理構造のまずさを上で指摘した.また適応の中身についての勘違いがあることも書いた.しかし,もちろん生物は有害な放射線に適応する方向に進化しているはずだ.

その適応の実質的な中身は何かというと,修復機構の進化と考えるべきだ.設計図となる DNA の破壊がもっともダメージが大きいので,DNA や染色体をガードする方向での進化が進んだことは想像に難くない.真核生物で染色体がペアになっていることもあるいはそうなのだろう.その他,さまざまな防御策が採用されて,放射線に対する感受性も多様化していることは確かだ.科学雑誌や科学番組には,その種の最新の話がしばしば載っている.

「カリウムを蓄積しないように生物は進化した」という市川氏の話は,科学的にまともなものではないのである.

何十年も前のビデオを持ち出す人々

それにしてもこのビデオは古い.見たところ市川氏の歳はせいぜい40歳,あるいはもっと若いように感じられる.ネットの資料によると1935年の生まれということなので,今は80歳に近い歳だ.実際,いかにも高齢になられた顔を掲載した原水爆禁止国民会議のサイトもある.

そういうことからして,この講演以降40年ほどが経過していると思われる.もちろんそれ自体はどうということではないが,そんなにも古いビデオを引っ張りだして来なければ,「自然放射能は安全で人工放射線は危険だ」ということを語ってくれる人が今どき見つからなかったのだろうか?

現在,同じようなことを言っている人としては,京大助教の小出裕章氏がいる.だが,私は彼を信用しない.1つだけ言うと,事故を起こした原発の核燃料が「メルトスルー」を起こして原子炉の床を突き破って地下に潜っているなどということを,何の根拠もなく語っている,そのことだけで十分だと思う.話が悲惨であればあるほど良心的であるとみなす人がいるが,専門領域に関して根拠のないことをいう人は科学者ではない.

ようするに,まともに放射線の科学が分かっている人であれば,「天然=安全,人工=危険」と言ってくれる人はいない.それが実情なのだと,私は思っている.

天然放射性核種もやはり危険だと言うことは原発推進とは関係ない

市川氏の古いビデオを今頃持ちださなければならないほどに,「自然の放射線は人口のよりも安全」という主張は今やまともな学者なら誰も言わない話なのだ.

残念なことに,反原発を唱える人の一部には,今でも「天然にも放射性物質が存在することを前置きにするような議論は,原発推進に手を貸すものだ」という人がいる.しかし,そのことは厳然たる事実であり,その有害性も客観的に評価するのは当然のことである.何かにつけて善悪二元論に陥ることは,誤った態度であり,弁証法的な柔軟さを欠くものである.

私は原発廃止に賛成する者だ

最後になるが,私は原発廃止論者である.一旦事故を起こした時の被害の大きさは,通常のリスク管理論でカバーできるものではない.それは今の福島を見れば誰にも否定出来ない話だ.原発は人間の浅知恵でコントロールできるシロモノではない.ごく最近もネズミ1匹が停電を引き起こしたではないか.ネズミの行動までリスク計算に含めていたのか?まさかである.ましてやリスクを過小評価することに狂奔して数々の嘘をついてきた政府や電力会社を信用したら,何度でも悲劇が起きるだろう.

そして,どうにもならない核廃棄物の処理問題.世界中で難航し,まして火山と地震の国である日本で,これをどうしようというのだろうか?

このことを考えれば,原発を推進することが如何にクレイジーであるかは歴然としている.これに合理的な反論をできた人はいないはずだ.原発に反対するなら,ちゃんと道理を説けばよい.道理の前に砕け散るほどに原発推進の論理は弱いのだ.

科学的な嘘を並べ立てて反原発の口実を作ろうなどという愚かな真似だけは,良心をもつ人間としてやるべきことではないと思う.