«前の日記(2012年05月18日) 最新 次の日記(2012年05月20日)» 編集

【小波の京女日記】


2012年05月19日 放射線の生物半減期を考える [長年日記]

_ 生物による物質の取り込みと元素の循環

セシウムは周期表のどこに?

すべての生物は日々食物などの形で物質を取り込み,それを代謝によって同化したり異化したりして,排泄物,汗,呼気などによって体外に排出している。今は放射性物質について考えたいので,注目するのは炭水化物とかミネラルといった栄養物質というより,それを作っている元素のほうだ。ここではもっとも影響の大きいセシウム Cs について考えていくことにしよう。

なお,放射性のセシウムで現在問題になっているのは,セシウム137(半減期 30.1年)とセシウム134(半減期 2.06年)の二つだ。特に前者は1世紀かかってやっと 1/10 に減るという減衰の遅さなので,それによる環境汚染は深刻な問題になる。

化学の話にもどると,セシウムという元素は,周期表では一番左側のアルカリ金属の,下の方に位置している。さて周期表では,縦の並び(族)はお互いに化学的な性質が似ていることに注意しよう。つまり,上から Li, Na, K, Rb, Cs といった元素は化学的な性質が似通っている。たとえばどれも $Na^+$みたいな1価の陽イオンとして振舞うところは共通だ。

ただし,人体の中で使われているアルカリ金属元素は少なくて,せいぜい Na(ナトリウム)と K(カリウム)の2種類だけが利用されている。そしてこの2つはかなり異なった役割を持っている。ざっというと,ナトリウムは血液などの体液に多く,カリウムは細胞内に多いと思っていればよい。

セシウムはカリウムと行動をともにする

周期表上の族,つまり縦のグループのメンバー同士は似ている。さらに言えば,近い位置にあるものほどよく似ている。したがってセシウムはナトリウムとカリウムのうち,どっちかというとカリウムによく似ている。そのため,カリウムを食物から取り込むと,セシウムも一緒についていってカリウムが回っていく所にいっしょに入り込む。

じっさいには,生体内でのカリウムとセシウムの振る舞いは多少違っているのだけど,ここではラフに両者は同じ振る舞いをするというモデルを仮定しよう。つまり,食品の中でカリウムとセシウムは混ざって入っていて,その比率そのままで体内に取り込まれると考え,また体からセシウムが出ていく時にも,カリウムと一緒に出ていくとする。

そもそもカリウムはどんなふうに巡っているのか

カリウムはすべての生物にとって必須な元素であり,私たちは主に植物を食べることによって毎日補給している。そして,体内ではほぼ一定の濃度になるように調節が行われていて,余計な分はほとんどが尿に排出される。

下は食品 100 g 中に何 mg のカリウムが含まれているかを示したものである(「五訂増補日本食品標準成分表」による)。たとえば 200 グラムの焼き芋を食べれば,1 グラムほどのカリウムを摂取することになる。こんなふうに,たいていの食べ物にカリウムはかなりたくさん含まれているのだ。

焼き芋 540 さといも水煮 560 もめん豆腐 140 かぼちゃ 840
たまねぎ 150 ピーマン 190 トマト 210 バナナ 360
340 牛・肩ロース 210 豚・肩ロース 320 鶏卵 130

食事のたびに,その中に含まれるカリウムは腸から吸収されていって体のいたるところに届けられる。しかしそれだけでは体内のカリウムの濃度は上がりっぱなしになってしまう。そこで腎臓の調節機能が働いて,余分なカリウムイオンを腎臓から排出されていき,結果として一定の濃度が保たれるようになる。

もしも環境中に放射性のセシウムがあった場合,それはカリウムと混ざって動植物に取り込まれ,それを食べる人の体に入り込むことになる。

さて,セシウムはどんなふうに体の中に滞在して,そして去っていくのかを数理モデルとして定式化したいというのが,ここでの主題である。


_ 生物学的半減期

生物学的半減期の意味

人を含む生物に放射性物質が取り込まれた場合によく使われるパラメータとして,生物学的半減期がある。これは,取り込まれた物質の量が半分に減少するのにかかる時間を意味している。

したがって,この量は別に放射性物質に限った話ではない。たとえば抗生物質を投与したあと,その血中濃度がだんだんに下がっていくといった話でも,ほぼ同じように通用する話である(細かい点では若干異なるのだが,ここでは触れない)。放射性セシウムであろうが安定セシウムであろうが,もちろん同じ生物学的半減期をもつ。ただし,放射性でないと汚染に関係するような微小量は測れないという,実験的な制約はある。

セシウムの生物学的半減期の意味

何度も書いたように,放射性セシウムのイオンはカリウムイオンに紛れ込んで生物体内に入ってきて,生体内をほぼ同じようについて回る。そこで次のようにモデル化してみよう。


_ カリウムに混ざって入ってくるセシウムの数理モデル

汚染の排出は汚れをすすぐように進む

私たちは毎日の食事でかなりの量のカリウムを取り込んでいる。それは体の 中を巡って,生命維持のために大切な働きを行なっている。一方体の中のカリウムの総量はほぼ一定に保たれなければならないので,余計な分は腎臓から排出されていく。ようするに,大きな(実際にはすごく複雑な形の)入れ物の口から水を注ぐと,それがあちこち循環して,どこかの出口から余計な分が出ていくというイメージである。

その中に,あるとき一定量のインクを入れてその後の様子を観察したとしよう。インクの拡散の速さにくらべて水の流入や流出は十分にゆっくりであるとする。そうなるように撹拌しているとしてもよい。つまり,一瞬でインクが拡散して常に全体の濃度は変わらないとするのである。

図にすると下のような具合である。容器の左上から水が少しずつ流れ込んでいて,右下で同じ量だけ流れ出ている。左端の容器の図は,いままさに一定量のインクで水全体が染まったところであり,右端の状態ではほとんど薄まってもとの水に近くなっている。

画像の説明

ここで容器の容積を $V$, 単位時間当たり流入する水の体積を $f$, 最初の瞬間のインクの濃度を $x_0$ としよう。インクの濃度が時間とともにどう変化するかを考えよう。

短い時間 $\Delta t$ の間に流れ込む水の量は $f \Delta t$ である。最初の瞬間から $\Delta t$ 後にインクの濃度はどのようになるだろうか?流れ込んだ水にはインクは含まれず,流れだした $f \Delta t$ だけの水にはインクが含まれているわけだから,次の倍率で希釈されることになる。

\[ \frac{V- f \Delta t}{V}\]

つまり最初の濃度はこの時間の間に次のように変化する。$\Delta t$ は短いので,ほんのわずか薄まるわけだ。

\[ x_0 \rightarrow \frac{V- f \Delta t}{V} x_0 \]

これを繰り返すとどうなるだろうか。薄まる割合はずっと同じなので, 単純に次のようになる。

\[ x_0 \rightarrow \frac{V- f \Delta t}{V} x_0 \rightarrow (\frac{V- f \Delta t}{V})^2 x_0 \cdots \rightarrow (\frac{V- f \Delta t}{V})^n x_0 \]

これはいわば雑巾をすすぐのに,少量の水を付けては絞るということを繰り返すといった操作になっている。 ここで$n$ を無限大になるところまで延々と繰り返せば,インクの汚れはゼロになっていくというふうに読める。

しかしそれだけではつまらないので,もう少し定量的にシミュレーションを行なってみよう。

実は放射線の減衰と同じモデルになる

もう一度次の式を考えよう。

\[ x_0 \rightarrow \frac{V- f \Delta t}{V} x_0 \]

これを変形すると次のようになる。

\[ x_0 \rightarrow x_0 - \frac{f}{V} x_0 \Delta t\]

実はこれ,すでに見たことのある形をしている。放射線の減衰の式だ。

\[ x_0 \rightarrow x_0 - \lambda x_0 \Delta t\]

なんのことはない。これは放射性物質が減衰しているときの形そのもので, $\lambda$ が $f/V$ に置き換わったに過ぎない。

したがってまったく同じプログラムを使って,ただし,

 lambda = flow / volume

とでも lambda を定義する行を設けてやればよい。ここで これまでの説明の $V, f$ をそれぞれ volume, flow に直した。プログラム中で1文字の変数を使うことは, ループ変数や使い捨ての作業変数を除いては,ソースの 保守性を悪くするので避けたほうがよいからである(一方,数式中における変数は 1文字が原則だ)。

結果をいくつかの $\frac{f}{V}$ の値についてプロットしてみたのが次の図だ。

画像の説明

これから半減期を求めることができる(数学的にきちんとやることはもちろんできるが)。

さて,結局生物学的半減期とは何なんだろうか?それは体内に取り込まれた物質が薄まるときに指数関数的な減衰を示す。その半減期のことを生物学的半減期と言うのである。