«前の日記(2012年03月06日) 最新 次の日記(2012年04月07日)» 編集

【小波の京女日記】


2012年03月28日 セシウムの沸点は使えないデータ [長年日記]

_ セシウム元素の基礎データをみる

放射性物質を含むと思われる廃棄物の焼却について,セシウムの沸点を引き合いに出した主張が,ネット上でまさに氾濫している。次はTwitterで見かけたひとつの典型的な誤りの例。似たような文章がいくらでもあるので,原文に手を入れて,一般的かつ論理的な文章に大幅に改変してある。

セシウムの沸点は671℃である。一方,ガス化溶融炉は1300℃以上の高温で焼却する。したがってセシウムはほとんどが気化してしまい,焼却炉の外に出ていく。フィルターを付けても,気化によってナノ単位の大きさになりバグフィルターを素通りする。

この文章の後半,「ナノ単位」云々のところも科学的には意味のない表現なのだが,それは一旦おいて沸点に限って書いていくことにする。

たしかに,周期表などからセシウムの物性を見ると,融点 28.44℃,沸点 671℃となっている。ちなみに2つの数値の精度が異なるのは,そもそも融点の測定は実験手順上かなり厳密に行えることに加えて,室温よりちょっと上というきわめて操作しやすい温度での測定だからだ。沸点はこんなに正確には測れない。

セシウムの融点が約28℃ということは,手のひらで温めれば融解して液体になるわけで,沸点もそれに見あって,金属としてはかなり低い671℃である。「今すったタバコの温度が800℃」という標語もある位なので,普通の物質が燃焼する温度では,セシウムは沸騰してどんどん蒸発すると思う人がいることは不思議ではない。

しかし,この議論はまったくの誤りである。

なぜか?それは「金属状のセシウム」など実際の状況では存在しないからだ。「火の中で溶融して沸きたぎる銀色のセシウム」とでもイメージされるようなセシウムはないのだ。

高校の化学の教科書をみると,最初のほうで元素の第一イオン化エネルギーについて説明され,図1(画像にカーソルをかざすとキャプションが出ます)のようなグラフが掲げられている。

図1:元素の第一イオン化エネルギー(Wikipediaから)

この第一イオン化エネルギーというのは,その原子が1個だけ真空中にあったとして,そこから電子を1個引きぬくのに必要なエネルギーを意味する。実験的にはスペクトルのデータから求めることが多い。さて,セシウム Cs のイオン化エネルギーを見ると,これは全元素中で最も低い部類に属する。フランシウム Fr はほんのわずかだけセシウムよりも低いが,それも含めて第一イオン化エネルギーは最低といってもいいだろう。

これは何を意味するのか?セシウムの原子はとても電子を放しやすいということだ。

念のために電気陰性度のデータも調べてみよう。Webelementsから図を使わせていただくことにする。

図2に示された電気陰性度,こちらは単独の原子ではなく,ある元素の原子が他の元素の原子と化学結合した時,どちらのほうに電子が引っ張られるかを決めるパラメータである。電気陰性度は化学的に重要な値であり,かつ化学結合についての考え方も多様なので,何人もの研究者によって別の数値が提案されていて,ここでは元祖のポーリングのものを提示してある。

さて電気陰性度からみたセシウムはどのランキングにあるだろうか?グラフでは緑色の系列の左端にあり,やはり全元素中で最低ランクである。つまりこういうことだ。

セシウム原子が他の元素の原子と化学結合するときには,必ず電子を相手に渡して,自分自身は陽イオンになる。

「化学結合するときには」と書くと「化学結合しないときにはそうじゃないだろう」という論理的な疑問の余地もあるが,化学結合を作らないのはヘリウムなど希ガスの一部だけである。要するに地上の物質中のセシウムは必ず化学結合に参加していて,電子を奪われて陽イオンになっていると考えてよい。金属状のセシウムの単体など,無理やり電気分解して作らない限り地上には,そしてたぶん宇宙のどこにも,存在しないのである(そういう星があったら面白いとは思うが)。

図2 ポーリングによる電気陰性度(Webelementsから)

_ 単体と化合物,そしてイオン

ある元素に属する原子だけからなる物質を単体といい,他種の元素の原子と化学結合してできている物質を化合物という。周期表に出ている物性は,すべてその元素の単体のものであり,化合物のデータというのは組み合わせがあまりにも多種多様なので,理化学事典や化学便覧などのデータブックに主要なものが収容されている。

さて,化合物になると元素の性質は単体とはまったく異なったものになる。これはもともとの単体の性質というものが,原子核の周りを回る電子の振る舞いによって規定されていることによる。さらにいうと,それらの電子のうちの一番外側の少数の電子の振る舞いが決定的な役割を果たしている。

セシウムのようなアルカリ元素では,最も外側の軌道,つまり最外殻の電子は1個しかなく,化学結合に際しては,その電子が出ていって,残った原子は1価の陽イオンになる。

さてこの時点で,セシウムの化学的,物理的な性質は激変する。「金属光沢を示し,低い融点と沸点をもつ」などと教科書に書かれているセシウム金属の性質は,完全に意味をなさなくなるのである。

なぜか?それは金属としてのセシウムの性質は,イオンになる時にさよならして出ていった最外殻の1個の電子が発揮していたのであって,その主役はセシウムイオンには不在だからである。

だから,冒頭で引き合いに出したような「セシウムの沸点はこれこれだから,焼却炉の中でセシウムは沸騰して気体になって出ていく」という理屈は完全に誤っているのだ。

_ 使えそうなデータはあるのか?

それでは,セシウムに関連する物性データとして何を引き合いに出したら意味のある議論ができるのだろうか。そのためにはセシウムが環境中で一般にどのような化合物になっているかを考えることが,筋道としては正しい。

一般的な環境中で考えられるセシウムの代表的な化合物は,塩化セシウムと酸化セシウムである。いずれもセシウムイオンを含み,水に非常によく溶ける。 塩素以外のハロゲンによる臭化セシウムなども考えられるが,存在比から見て塩化セシウムが代表的な塩化物である。

酸化セシウムの方は水に溶けて強いアルカリの水酸化セシウムになり,まわりに有機酸(生物遺骸はたいてい含んでいる)があれば,その塩になる。ただし水中では,いずれにしても単独のセシウムイオンとして遊んでいる。ただし,土壌中でどうなるかについては,実は猛烈に深い話が現れて高校化学レベルを超えるので,別に書くことにしたい。

そんなわけで,引き合いに出せそうなのは塩化セシウムあたりになる。そのデータを調べてみると,次のようになっている(化学便覧基礎編第5版から引用)。沸点がいろいろあるのは測定方法等の違いによって文献ごとに値が違うのであろう。

融点/℃ 645
沸点/℃ 1290または1324,1303

さて,こうやってみると,単体の沸点671℃に比べて塩化セシウムの沸点は600℃あまりも高い。その意味では冒頭に挙げたような議論は相当程度割り引いてよいということになるようだ。

_ とはいえ,それほど話は単純ではない

以上の話は,塩化セシウムの純物質についての物性データから考えたものである。ところが,現実の放射性セシウムの量を物質として見た時には,ごくごくわずかであり,放射性落下物(フォールアウト)中,そしてそれが付着したり吸収されたりした瓦礫や植物体の中のセシウムイオンの量は,風呂桶に耳かき一杯を落としたほどもないのである。

ちょっとした概算を試みよう。

仮にセシウム137による1000Bq/kgの放射能をもつ1kgの塊があったとしよう。つまり 1000 Bq の放射性セシウムがここにはある。セシウム137の半減期のデータを使って,これがどれだけの量に相当するかを計算してみると, $2.28\times10^{-12}$ mol, あるいは $3.1\times10^{-10}$ g という,まさに極微量である。

結論を言うと,この量のセシウムイオンは,仮にそれと見合う塩化物イオンが存在したとしても,塩化セシウムの塊の純物質として振舞うことはない。あまりにも希薄なために,セシウムイオンたちは集団で塊をなすことはできず,他の物質の表面や境目に潜り込んでいるとか,植物体であればカリウムイオンが入るべきイオンチャンネルに孤独な顔で潜り込んでいるといった,そんな状況で存在しているはずであり,せっかく参照した塩化セシウムのデータは使えないのだ。

ここまで来て話はどんでん返しになったわけだが,それではどう考えればよいのだろうか?

_ 極微少量のセシウムイオンは類似のイオンと行動を共にする

自然界においてセシウムの存在比は非常に少ない。一方,アルカリ金属であるナトリウムやカリウムはかなり多い。ナトリウムとカリウムではカリウムのほうがセシウムと原子番号が近く,原子やイオンの大きさも似通っている。

ようするにセシウムはカリウムと化学的な性質が似通っているので,カリウムが集団で行動する時に,その中に紛れ込んで自分もついて歩くのである。スズメの大群の中に,たまにカワラヒワなんかが混ざって一緒に餌をついばんでいたりする,そんなイメージで考えてもらえばよい。 ということは,カリウムあるいはナトリウムを含む木材を燃やしたときに,これらの金属イオンがどこに行ってしまうかを考えればよいわけだ。

その答えは簡単。木炭であれば灰にほとんどが残る。炎を上げて燃えるようなものだと,すす(煤塵)にも入り込む。木炭の灰の成分はよく調べられていて,たとえば日大生産工学部の古川茂樹らによるこの論文を見ると,松の灰 0.1 g 中の金属元素の質量について次のようなデータが得られている。そのまま重量百分率で読んでもらえば分かりやすい。

元素 Ca Na K Mg
質量/mg 1.69 8.93 3.30 0.64

これらの金属イオンは酸化物として灰に含まれているので,セシウムイオンは,この灰の中のカリウムイオンと行動を共にし,その結果化合物としては酸化カリウムの中に紛れ込んでいるはずだ。その結果として,放射性セシウムを含む木材などを燃やすと,灰に高い濃度で集積される。

原発事故後,精力的に宮城と近県の放射線量を測定している津田和俊氏によれば,木材を燃やした灰に放射性セシウムが濃縮されているということであり,また煤塵の方もかなりの線量が出るらしい。結局,灰と煤塵が問題だということになると考えられる。

さて,煤塵にセシウムイオンが入り込むということは,下手をするとそのまま大気中にそれが出ていくのではないかという懸念を生じるのは自然なことだろう。最後にその点に言及しておこう。

日本のごみ焼却施設の廃棄物焼却炉では,ダイオキシン類の生成を防止するために800℃以上の高温で燃焼させた後,200℃以下に冷却して煤塵を集めるということをしている。この温度になれば,仮に何らかの理由で「気化」したセシウムイオンがあったとしても(それがごくわずかであるということはほとんど確信をもって言えることだが),他の物質と一緒に煤塵に付着して,集塵機で回収されると見てよい。

このような厳重なゴミ焼却処理は,ダイオキシン類対策特別措置法にともなって定められた規格だが,上に述べたように,この方式だと燃焼ガスと一緒にセシウム化合物が大気中に逃げ出す割合は,あってもきわめてわずかである。なお「わずかでもあることが問題だ」という批判は,量的な問題を無視したものである。ほぼすべての放射性セシウムは燃え残りの灰と煤塵として残されることになる。

_ 灰や煤塵の処理はどうしたらよいのか

セシウムはアルカリ金属であり,植物体のカリウムと化学的に共通の運命をたどる。そして灰になり,煤塵にも入り込む。その結果として,もしも燃やされる前の木材等が放射性を帯びていたとして,回収した灰と煤塵に放射性物質が強く濃縮される。なるべくならばそうやって濃縮された状態で,遮蔽された施設に保管することが望ましいというのは常識的な判断だと思うし,安斎育郎氏などもそう表明されていた。また中西準子氏は,瓦礫受け入れに消極的な自治体には焼却だけをお願いして,灰は送り返して被災地の地元で保管するオプションもありうるのではないかと書いておられる。

残念ながら現状はそのような動きにはなっていないのだが,環境からの被曝量を低減し,住民の合意を得やすくするために,もっと合理的な処理がなされるべきではないのだろうか。