「思い残し切符」を引き継ぐ者

 一九九〇年発行の「新文芸読本 --- 宮沢賢治」(河出書房新社)には、
賢治に関わる井上ひさしの仕事への記述が、実はない。「イーハトーボの
劇列車」の初演から十年たって編まれた論叢が、賢治の理解に一世を画し
たこの戯曲はおろか井上のその他の評論にも一切論及していないというの
は、全く不可解としかいいようがない。僕にはこの一事をもって、「宮沢
賢治論者」たちの一つの限界が指し示されているかのように思える。賢治
の作品を、作家の生きようと社会との関りで捉えるという視点が、この
「読本」には見事に欠落しているからだ。幸いにして、賢治を語る人とし
て井上ひさしを抜きに考えることは難しいという、ここ二、三年の状況の
変化が見られるようにはなったのだが。
  「劇列車」は賢治の旅の記録をなぞりながら、実在の、あるいは童話の
登場人物たちとの仮想の会話を展開していく。理想主義者の大甘ぶりを次
々に露呈され、次第に己が敗残を受け入れざるをえなくなる賢治。しかし、
合間に狂言回しとして登場する車掌は「思い残し切符」を、社会の隙間で
転落させられていく若い労働者や百姓の最期の思いを、賢治に託して去っ
ていく。そして終幕近く、今や末期を迎えた賢治は、あまりにも大きな思
い残しをその車掌に渡して銀河鉄道に乗り込んで行く。
  社会の陥穽にはまってしまった現代の東北の百姓たちもまた、思い残し
切符を渡して共に旅路に就く。列車を見送った赤帽の車掌は万感の思いを
込めて、舞台から客席に向けてそれらの思い残し切符を力一杯に撒く。今
に生きる私たちもまた、賢治の、そして人々の思い残し切符を託されて劇
場を去るのだ。
  賢治の生きざまを理想化せず、さりとて辛口ながらぬくもりのある共感
も惜しむことなく注いだこの劇の誕生は、あるいは作者自身の思想にさえ
大きな拠り所を築いたのかも知れない。いや、そうに違いない。宮沢賢治
の思い残し切符を受け取って「イーハトーボの劇列車」を銀河鉄道に旅立
たせた井上ひさしは、それ以降確かに変わった。
1996.9