あけびとり

 寛君は快活な少年である。彼は僕より一つ年下で、背の高さは僕と同じ
ぐらい。色の黒い人なつこい人間である。彼の家は僕の家の上に石がきを
はさんで、ある。
 その寛君が、ある土曜日のひる、僕の家にやってきた。

「おい、とんぼ(あけびのこと)といけ、いかんか」

もちろん僕は大賛成で、

「うん、いっが」

と簡単に決めた。そこで寛君は帰っていった。僕は緑色のジャンパーと長
ズボンをはいて、ポケットにはナイロン袋を二つほどつめこんだ。そして
出ていってみると、寛君は粗末な学生服とズボンで、とうまい袋(麻袋)
を持っていた。僕は、どうしよう袋が小さいなと思ったが、そのまま二人
ででかけた。

 寛君の話しによると、今から行こうとしている山は、彼のおじいさんが
炭焼きに山に登ったとき、いっしょについていって見つけた山だそうで、
そこにはあけびが上から鈴なりになっているそうだ。上はあけびの葉やつ
るで空もほとんど見えないということだ。
 そんな話しをしている間に、僕たちは駅(駅といっても、小さな家に40
メートルぐらいのホームがついている程度)を前を通り、ふみきりを渡り、
山にさしかかった。急な坂は紅葉に染まり、栗のいがが、そこここに落ち
葉といっしょに道をうめていた。目の前を、腹の赤いきつつきが木の実を
ついばんでいたとみえて、あわてて飛んでいった。その坂を上り切ると、
広々としたさつまいも畑があり、あちこちに柿の木が、枝もたわわに実を
つけていた。その間の道をぬうようにいくと、そばに大きな柿の木があっ
たので、二人で登っていって熟したのを三つくらいずつ食べた。で、あま
り食べていよいよ本番の時に食べられなくなると困るので、それ以上はよ
して下に降りた。
 ところが、ここで降りようとすると、なにかポケットにひっかかるので
手を入れてみると、どうしたわけか、ふろしきが入っていた。あの時のこ
とは今考えてもふしぎだ。ふろしきを持っていた理由がないのだ。でも、
それでおおいに安心してまた歩き出した。
 おりからの秋の午後の日ざしは頭上を照らして暑くなってきた。しかし
道は下り坂になり、竹林の中をくぐっていったので、また涼しくなった。
今度は、右には一歩足を踏みはずしたら落ちてしまいそうな斜面、左には
暗くてなにも見えないブナの林をみて歩いた。次には松林の中の松の葉が
いっぱい落ちて、すべりそうになるところを通った。

 もうかれこれ一時間くらいはたっただろうか。僕たちは今度はブナの林
の中に入った。するとあちらの幹、こちらの幹にあけびのつるが、まきつ
いている。きいてみた。

「ここや?」

「いぃや、もちっと先行っが」

と寛君。さらに進んでいくと、あけびのつるはどんどんふえて、空があま
り見えないくらいになってきた。そこで寛君が立ち止まって、とうまい袋
をおろすと、

「ここでといが」

といった。僕もふろしきを広げた。ついでに、あけびの葉を拾って、子細
に観察した。まず、葉はつるに互生しており、うすい葉に葉脈が割合はっ
きりして、形はなかなか形容しにくいが、三角形がくずれたような、トラ
ンプのスペードとクラブの中間をいったような恰好で、そのふちはぎざぎ
ざになっていた。その間に寛君は身軽に木によじ登り、木といっても、す
ごい大木でそれが半ば倒れかかっている、それに猿のようにするすると登
っていく。そしてまず、実をひとつもぐと、自分で味みをやり、

「こや、うれちょらん」

といってすてると、もう一つちぎって、僕のほうに投げてよこした。これ
はもうしぶんなくよくうれており、果肉は半ば透き通っていた。

 あけびはふつう、大きさは中指の長さぐらいが標準形、形はバナナを押
しちぢめたようにずんぐりして、ぶ厚い皮があり、それが少し開いている。
中にウインナソーセージぐらいの太さの果肉がくっついていて、それには
ゼリーの中のほしぶどうみたいに小さな3ミリぐらいの種子が入っている。
また実は、さいしょのうちはしっかり閉じ果肉も白く、うれてくるにした
がい少しずつ開きはじめ、果肉も透き通ってくる。そして、ほんとうにう
れてしまうと、果肉は透明に、非常にやわらかくなり、ほっと落ちてしま
う。このころが一番おいしいが、あまりそういうのはないので、少しうれ
ていないのをとるしかない。でもそれも一種の香気とクリームのような舌
ざわりがあって、なかなかおいしい。中には発酵して酒になっているのも
あって、大人が喜ぶ。

 寛君はもうだいぶ上に登って、上から投げてよこす。僕は木登りはへた
なので、もっぱら受け取り役。ところがキャッチボールもへたときて、な
かなかつかまえられない。でもどうにか頭上から落ちてくるあけびの雨を
よけながらひろいまわった。なかにはうれていないのもある。そこで、

「おい、うれちょらんぞ」

「うん、そげなんた米ん中ん入れちょけばよかが」

「へぇー」

なるほど、それはしらなかった。さきほども書いたとおり、その木はひど
く倒れかかっていて、かみなりでも落ちたらしく、10メートルぐらいで
先がすっぱり切れている。そこまで寛君は登った。
 さあ、それからが見もの、先のほうにもまだあけびのつるが、網のよう
に張ってもう一本の木に続いている。その中の鉛筆ぐらいのつるを見つけ
ると、そろりそろりとまわりのつるをつかみ、その太いつるに体をのせて、
腹ばいになって進みはじめた。つるは太くても、数は多いといっても、下
は落ち葉がマットレスのかわりをしているといっても、なにしろ地上8メ
ートルのところでの芸当である。植物のつるである。針金とはちがう。
 と、寛君はそっと手をのばすと、右のほうにある実を左手でしっかりと
つかみ、右手でつるをにぎって、つまり体を90度まわして足で反対のつ
るをつかみながらもぎ取った。そのとたん、ブツッという鈍い音とともに
寛君を支えていたつるの一本が切れ、寛君の体が下に大きくゆれた。そし
て切れたつるが僕のほうにへびのように実をつけたまま飛んできた。思わ
ず冷や汗をかいた。寛君は、と見ると、残ったつるといっしょに大きく揺
れていたが、こちらの方を向いて笑って手を振ってみせた。そこで僕も安
心して、また拾いだした。ゆさゆさ揺れるそのたびに青空が波を打つ。林
の中は、暗くなったり明るくなったりした。寛君はなおも先へ進むと、雨
のようにあけびを落とした。
 ところが急にその雨がやんだ。おかしいと思って上を見ると、彼は実を
食べている。そこで僕も腰をおろして食べはじめた。食べはじめたとたん、
上から黒いものがバラバラと落ちてきた。寛君が種を僕のほうへ、すいか
の種でよくやるように口で飛ばしたのだ。僕は応酬しようとしたが、僕の
吐いた種は途中でまわれ右をして、また落ちてくる。寛君は大声で笑った。
僕も恥ずかしくなった笑った。
 それからしばらく取ると、袋もふろしきもいっぱいになったので、寛君
は木から下りてきた。そして二人で地面に腰をおろした。数えてみたら、
二百ちかくあった。そのうち二つ三つをそこで食べた。すると寛君がひと
つ僕にくれたので見ると、とてもよくうれていて、食べるとまるで蜂蜜の
ようにあまくおいしかった。まわりにはどんぐりがたくさん落ちていたの
で、おみやげにと思ってポケットに入れておいた。
 二人は立ち上がると、寛君はとうまい袋を背負い、僕はふろしきを手に
もって歩きだした。さっきの松林のところまで来ると、松の葉であやうく
すべりそうになった。松の葉はスキーで、夏すべるとき使うそうだが、こ
んなにすべるとは知らなかった。歩いて歩いて、さつまいも畑がまた見え
る頃は、夕日は落ちかかり、広い畑を赤く染めて遠くの紅葉した山々をい
っそう赤くしていた。秋が深まり、寒いくらいの風がつよくふいた。僕た
ちは家まで走っていった。


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 以上が僕のあけびとりのいきさつです。この中には不確かなところがあ
るかもしれません。何しろ五年前の話しですから。しかし自然に親しむの
はいいことです。
 ちかごろ都会では、だんだん自然が少なくなっていくということです。
木は倒され、その後に高層ビルが立ちならんでいくということです。でも
人間は、機械の中だけで暮らすことはできません。大昔から人間は自然の
中で暮らしてきました。今も変わりありません。都市に公園があるのは、
人間に緑が必要だからです。休みの日には山に登ってごらんなさい。近く
の山でいいのです。そうしたことが心身の健康に役立つでしょう。
 自然は雄大でしかも繊細です。自然のなぞを解きあかすことはできない
でしょう。僕はこのほかにも、蘭や椎の実や、めじろなどを取りに行きま
した。その話しはまた後にしようと思います。


                       おわり
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【DASOKU】

小波は、私が前任校の姫城中学校で一昨年、一年の学級担任として受け持
った生徒である。市内転居のため、高崎の麓小学校から入学してきた。こ
の作文は、「姫城中生徒会新聞」にのっていたのを、もっとくわしく書い
てみないかと注文して書かせたもので、注文してから一年たってひょっこ
り持ってきた。いかにも彼らしい所作である。
 文章としては一応、「秋が深まり、寒いくらいの風がつよくふいた。僕
たちは家まで走っていった」でおわりかもしれないが、後の方に彼なりの、
はっきりした考察をしていて面白いので、そのまま収録した。二、三あて
字や語句の使い方のおかしいところを訂正しただけで、原文のとおりであ
る。私が国語を担当していないため、あまり他の生徒の書いたものを読む
機会がないが、中学三年の作文として、構成も描写も的確で秀でたものと
思われる。
 それよりもこんなたのしい年少の日の思い出を彼がもつことのしあわせ
を賛えたい。文中、「うれちょらんとは米ん中ん入れちょけばよか」とい
う山の子どもの智恵は、デパートでキャラメルやチョコレートを買いあさ
る街の子どもにくらべると、ほんとに微笑ましくまた胸を打たれるものが
ある。私自身、田園の中で育ったので、このような山や川の記憶は多く、
その郷愁が、めったにしない苦手の原紙きりをさせたのかもしれない。

  1965年 5月   新緑そそぐなかで
          有水中学校 前田実好
1964.8