らされていただく

「この件につきまして、発表させていただきます」

 この手の「させていただく」表現が世の中に溢れかえっている。 目立つようになってからもう長いことたつのでそろそろ収まるかと思っていたが、 ぜんぜんやむ気配はない。むしろしょうけつをきわめる一方である。

  こいつが大嫌いである。もとより人に頭を下げるのが嫌いな元軍人の父をもち、 武士は食わねど高楊枝をきめこんでいるような偏屈な男であるから、 へり下る敬語表現自体をあまり好きでないという傲慢なところがある。へん、 オレがあんたに発表させてやってるってわけじゃないだろ? 自分の発表だったら堂々と自分の意志でやってるんだという態度でしゃべれよな、 というわけだ。

 ところがそういう時代遅れの中年オヤジの意固地な思いなぞ、 もちろん誰にも聞こえるわけはなく、 あらゆるところでこの軟弱卑屈が幅を利かせるようになってしまった。 ちょっと巷の文例を蒐集してみたのでご覧にいれよう。

1 乗車券、特急券を拝見させていただきます。 (東北新幹線の車掌)
2 ご案内させていただきます車掌は○○でございます。 (同上)
3 今度、新しいアルバムのCDを出させていただきました。 (ラジオに出た某演歌歌手)
4 一回やらさせていただいた後で流させてください。 (???)
5 納品書を送らさせていただきます。 (出入り業者の電話)
6 この間、○×の赤ん坊を抱かさせていただいたんですが… (某タレント(男)が自分のトーク番組で)

 珍妙と思われる例で、なおかつ公共性の高いメディアに出現したものを中心に取り上げた。 似た例がいくらでもあることは、読者も日ごろお気づきであろう。 こちらとしても、もう日常化している語法であるから、 同僚たちやら子供の小学校のPTA役員やら 幼稚な青年たちの毎日のセリフには目くじらは立てないことにしている。 そんなことをしていたらただでさえ医者に警告されている血圧がまた上がる。

 冒頭に書いたように、この言い方のいやなところは、 卑屈な土下座根性が下敷きになっているところにある。 人間関係の社会学を考えるならば、自分に対する相手の立場を、 自分に指示命令することができる主人であるかのように擬制して発する言葉が、この言い回しである。

あなたは私にこれこれのことをさせる権能をもっている。その指示を ありがたく頂戴して、私自身の意志としてではなく、あなたの意志を 実現させていただくのです。

と、心理的な関係をほじくればこんなもんだろう。奴隷じゃあるまいに。 もっとも政治家が土下座して票を取る低劣な国民性であるから、 卑屈を売りにして稼ごうという表現も、この国の民の己が甲羅に似せて掘った蟹の穴ではある。

 ところで文例中(???)としたのは、当ててみてもらいたいから隠したものである。 この意味深なセリフ、誰がどういうシチュエーションで発したか、 ご想像いただけるだろうか?かなりアブなそうなセリフではないか。

 と、思わせぶりを続けるのはいいかげんにして、ネタをばらそう。 これは天下のNHKのディレクターが番組収録のリハーサルでしゃべったものである。 マスコミ関係者には完全に毒が回ってしまっているようだ。 もともと3のような使い方が、演歌歌手などいわゆる芸能人と呼ばれる 連中によって頻繁に使われていたのは、これはかなり昔からである。 ラジオの番組で歌手が登場するようなものをちょっと聞いていれば、 彼らがいかに「なんとかさせていただく」境遇にあるかが窺えるだろう。 へいこらしたって土下座したって、とにかく客から嫌われちゃまずい。 ひたすら媚びを売るしかない。それで客の数が稼げて日銭が入ればそれでいい。 視聴率をかつぐ業界としてマスメディアに「させていただく」病が蔓延しているのは、 成り行きというものだ。

 うんざりするのは、単にしゃべっているやつの心根にさもしいものを 感じるからではない。へりくだり丁寧表現がべたべたときわまって、 冗長の極に達しているからでもある。たとえば、「拝見させていただきます」 などは、「拝見いたします」でいい。「ご案内させていただきます車掌は」は 「ご案内の車掌は」でいい。考えてみると、「〜いたします」 という凛としたひびきの敬語表現があるのに使ってない。 言葉を単純に同じ鋳型にはめて使おうとしていて、他の言い回しを使うことを忘れている。 多様性こそが文化の豊かさであるのに、言葉の多様な使い方が滅びはじめているのだ。

 さらには言葉としても破綻してしまっているものがある。 4、5、6の問題箇所の動詞の基本型らしきものを書き出すと、「やらさせる」、 「送らさせる」、「抱かさせる」である。こんなものがいったいあるのか?  断じてない。「やる」、「送る」、「抱く」を使役動詞に変換したものは 「やらせる」、「送らせる」、「抱かせる」しかないのだ。 ぜんたいどう活用してるんだか、使ってる本人も頭の中はぐちゃぐちゃになっているに違いない。 べたべたとおもねった表現に、 まだこれでも足りないんじゃないかという不安に襲われて わけも分からず妙なものをくっつけてしまったという体である。

 とにかく敬語表現というものは、 相手に対する引け目を内在した不安心理によって際限なく肥大化し増殖する。 「おみおつけ」が「御御御つけ」であるのはよく知られていることだが、 まさに現代はガン化した敬語の増殖の時代らしい。

 もっとも、「させていただく」が常に嫌味な語法かというと、そうではない。 事実関係として、相手が自分になにかをしてくれる状況があるなら、 こちらからのお願いも自ずと許諾を求める言い回しになるだろう。

その写真を見せていただけますか?
お宅の庭を通らせていただきたいのですが。

  嫌味はまったくない。相手との距離が適切に置かれていて、 丁寧で品も悪くない。自立した大人の敬語である。要はすっきりした敬語を聞きたいのだ。
   (1999.Jul.7)