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【小波の京女日記】


2012年11月10日 「J.S.バッハ 時代を超えたカントール」拝読いたしました

_ バッハ研究の大著を読んだ

友人に勧められて,仙台北教会のオルガニストで,東北学院大学でキリスト教音楽を研究してこられた川端純四郎さんのこの本を,数日の出張の間に読んだ。

川端先生は現在ガンと闘いながらライフワークの完成に向けて仕事されているとのことで,背筋を伸ばし,また背筋を正されながらの読書だった。これはバッハ研究の大作。単なる伝記は他書にいくらもあるけれど,世界の2005年頃までの研究成果を渉猟して,昔我々が聞いてきた「伝説」の多くを修正している。必読。

読後,以下の感想のメールを先生に送った。


川端純四郎先生

京都市の小波と申します。

先日,ふとした御縁で先生の著書のことを知り,さっそく購入して 数日かけて読ませていただきました。長年にわたって膨大な資料を 渉猟し,海外の最近の研究成果までも意欲的に取り込んでのご研究 の成果に,まず心からの敬意とお祝いの念を捧げます。この本は現 代的なバッハ理解のために投じられた,日本における大きな一石で あると感じました。バッハを知りたいという人には,まずもってこ の本を薦めたいと思います。

 読んでいて,いたるところで新しいことを知り,これまで自分が 持っていたバッハの姿を改め,歴史の中に活き活きと位置づけるこ とができたことは,私にとって望外のよろこびでした。しかし,そ れ以上に感銘を受けたことは,先生ご自身がバッハの人と音楽に深 く傾倒して長年過ごしてこられたにもかかわらず,常に新しい研究 の成果に触れて,ご自身の誤解や誤りを正して来られたことを,著 述の中から何度も確認できたことでした。その上で,従来の研究に 対する先生ご自身の見解を,仮説として大胆に提示しておられるこ とにも大きな共感を覚えました。これらの仮説がこれから他の人に よって検証されて,バッハ研究がさらに進展することを期待したい と願っております。

 一方で,先生がキリスト者として,また社会運動の中で,終始貫 いてこられた人間としての姿勢を,この本でも臆することなく示し ておられることは,私に対する叱正の声とも,背中を押す励ましの 声とも聞こえます。これは居住まいを正さなければと,読書中なん ども背筋を伸ばしておりましたことを報告いたします。

現在私は,京都にある浄土真宗系の女子大学で教えており,その縁 で親鸞の言行録である歎異抄に触れる機会を得ました。もともと親 鸞の話は幼い頃に祖母とともに寺の説教で聞いていたわけですが, そこにはキリスト教の精神と多くの共通性があることを,近年特に 感じるようになりました。

 悪人正機説に象徴される赦しの思想と,若い頃から幾度となく聴 いて来たマタイ受難曲のペテロの涙の意味とが,私にはいつも重な って思い起こされます。また,親鸞が「経文を読んで学ばない輩は 往生できない」という僧たちを厳しく批判したくだりには,律法学 者たちへのイエスの批判が思い起こされます。傲慢をいましめ,罪 の自覚と悔悟と赦しをもって救いの道とする点において,マタイ受 難曲の思想は,親鸞のことばとあまりにも深く通じるものがあると 感じるのです。

 そのようなことを感じながら本を読み進めて,第十一章で「バッ ハの音楽の究極のメッセージが・・・罪を直視する実存的な主体の 確立と,赦しにおいてのみ成立する和解の共同性を聴く者の魂に刻 み込むことににあるとすれば,その音楽からは,ユダヤ・キリスト 教世界を超えてイスラムにも仏教徒にも無宗教の人々にも通じる地 平が開けてくるのではないでしょうか。」,そう書かれているとこ ろに至り,心からの共感を覚えました。

このメールは,読後に先生のホームページを見つけてお出ししてい るのですが,現在はガンと闘いながらのご執筆活動とのこと,健康 を回復されて,ライフワークの完成に向けてのお仕事をこれからも 続けて行かれるよう,心からお祈りいたします。

京都市

小波秀雄

_ メールに返事をいただいた

このメールを送って半日後に,川端先生から返事のメールをいただいた。

それによると,先生のお母さんは浄土真宗の敬虔な門徒であって,蓮如の「白骨の御文章」を毎日唱えていたのだそうである。お父さんはプロテスタントの牧師だったので,そこに嫁いできた以上は牧師の妻として教会を支える仕事にもあっただろうし,おそらく洗礼も受けたのであろう。

それでいて,浄土真宗の信仰告白のことばを片時も離さずに過ごしてこられたそうなのである。そして,その影響を受けて,川端先生は歎異抄を高校生のときから読み,今も座右にあるとのことだった。敬虔なクリスチャンであっても歎異抄のことばを心に刻んで生きて来られたのだ。

私自身,大学の宗教講話で「マタイ受難曲と歎異抄」と題した講演を,学生のために何度か行ったことがある。異なる宗教がその真髄の部分で共通したものをもっていることを,互いに認識してもらいたいということを,あえて宗教を信じない自分が学生に訴えてきたわけだ。先生からいただいた返事に書かれていた事実は,そのことにやや忸怩たる思いを抱いていた自分にとって,安堵できるものだった。

しかし,メールを頂いていちばん嬉しかったことは,先生がまだ仕事に励んでおられるということだった。喉頭がんとの闘いは決して楽ではないはずだけど,ライフワークの完成を目指して日々頑張っておられる先生の様子を知って,自分もしっかり仕事をしないとと,本当に励まされる思いだった。