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【小波の京女日記】


2012年08月31日 壁紙の内装屋さんからのメール

_ EMで放射性物質の除染ができるというメールをいただいた

こんなメールをいただいた。内容は個人情報を含まないものであり,私が書いたことについて,その方なりの経験にもとづいて言及しているだけのものなので,そのまま引用する。ちなみに EM というのは比嘉照夫氏という琉球大学の元教授がデータらしいデータもなく提唱して,一部の農業者や「環境活動家」,教師などが盲信している,ある種の微生物の混雑物である。

小浪(ママ)先生こんにちは、 Em菌で放射能除染ができるは完全に誤りとありますが、私は誤りでは無いと思っていました。 私は室内壁紙を貼る内装屋です。

5年位前に抗酸化工法という事で壁紙を貼る時に糊の中に抗酸化溶液を混入して施工すると、その室内は有害化学物質が除去されシックハウス対策になるとの講習会に参加しました。

B5の大きさのええふぇ壁紙に抗酸化糊をつけて乾かしビニール袋にいれて封印し、冷蔵庫にに入れて試してください。冷蔵庫の臭いが消えますよ。ビニール袋は封印したまま、冷蔵庫に入れてください。エッ!封印したままですか?それでは臭いの分子は吸着されませんが?まして、袋から出さなければ、化学反応はおきません。

_ 化学反応と原子核反応はまったく異なる

まず前半について。内容に不明な点があるが,この方がおやりになったことは,壁紙を貼る糊に抗酸化物質を混ぜることで,シックハウスの原因となるホルムアルデヒドなどの有害な化学物質を除去できるということらしい。

肝心のEMについて何も書かれていないので,そのことが事実としても,EMが室内の化学物質汚染に対して有効という話にはならない。善意に解釈すると,たぶんこの方の意図は,この抗酸化物質は EM から作ったものと言いたいのであろう。

抗酸化物質というのは,それ自身が酸化されることで,酸化性の物質を還元して消費するものの総称である。要するに還元剤だ。ホルムアルデヒド自身も還元剤なので,直接的に抗酸化物質によって還元されるかどうかは,たぶん無理だ。しかし,ホルムアルデヒドは空気中でどんどん酸化されてく物質であり,その途中段階の物質が過酸化物であったりすることは十分に考えられる。

実際,大気中で起きるさまざまの分解反応の多くは,不安定な不対電子や励起されたスピン状態をもつラジカルを中間に生成するので,それが抗酸化剤と反応することはありえない話ではない。もちろん,あるというわけではなくて,そこらはちゃんと研究をしないことには分からないということだ。

ともあれ,そういう化学反応のしくみによって,シックハウスの原因物質が抗酸化物質によって取り除けるということを主張なさること自体は,データによる裏付けを示すなり,長年の経験なりで確認しておられるのであれば,特に否定することはない。原理的には「ないとはいえない」たぐいのものである。

もっとも,この方は講習会に参加なさったものの,壁紙に関する実施をどうされたのかが書かれていないので,残念ながらその点は不明のままである。その意味では説明にはなっていない。が,そんな論理の組立の不備について咎めだてることは,趣味の良い話ではない。まとまった文章を書くことに慣れていない方なのだろうと思う。

とはいえ,この人は放射線を出す物質について何かをおやりになったわけではない。だから,「EMで放射性物質の除染ができる」という主張の根拠は何もないのだ。

さて,ここからは私の専門である化学や分子の物理に属することだが,肝心なことはひとつだ。

化学反応は,そのエネルギーレベルが原子核反応の場合よりも数桁低いので,放射性同位元素を分解することはできない

これだけである。これについて理解できないままで「EM」だの「微生物」だの「なんとか剤」で除染できるなどという人は,そもそも科学的に無知であって,土俵から降りてもらうしかない。困ったことに,国立大学の教授であった比嘉照夫氏その人が,そのレベルでしかないのだが。

わかりやすく言うと,上の言明は「硬い岩の塊にアリがいくら体当りしても,岩はちっとも削れないよ」というのとまったく同じ事だ。エネルギーレベルの違いさえ勉強すれば,誰にでも自明のこととして納得できることである。

_ 抗酸化物質をポリ袋に入れたままで冷蔵庫を脱臭できるか

後半の部分については,少々意味不明である。ともあれ放射性物質についてはなにも書かれていないので,「EMで除菌できる」という主張はなされていない。

とはいえ,「何かをビニール袋(ポリ袋)に入れたままで冷蔵庫の内部を脱臭できる」という主張をされているので,それについて言及しておこう。 その主張を検証したければ,次のような比較実験が必要である。

  1. その物質を入れない状態で冷蔵庫はどうなったか
  2. その物質をポリ袋に密封しないで冷蔵庫に置いたらどうなったか
  3. 空のポリ袋を冷蔵庫に置いたらどうなったか
  4. その物質をポリ袋に厳重に密封して置いたらどうなったか

もしも 2で有意な効果が実証され,1,3,4でそうでなかったら,その物質には脱臭効果があり,かつポリ袋を通過できないという結論になるだろう。

また2,4で効果あり,1,3で効果なしであれば,その物質はポリ袋の何らかのすき間を通過することができるということだ。

そんなふうにして,結果の組み合わせからそれなりの推論が出来る。ここで決定的に大事なことは,「ブランクとの比較」である。実はほうっておいても臭いは消えたかもしれないのだ。

これは薬の効き目でもよくある話で,毒作用のない「薬」は,たいていの場合飲んで3日もすれば熱が下がるし,腹痛も治る。もちろんその場合,飲まなくても治ったということにすぎない。

ポリ袋の中を気体は通過できないわけではない

それでは,ポリ袋というのは物質を通過させないものだろうか?そうではない。実は分子によっては通過するのだ。

ポリ袋という通称は,正確にはポリエチレンという高分子で作られた袋のことである。通常は軟質ポリエチレンといって,鎖状の長い分子であるポリエチレンがわりとゆるく集まっている。漁港に行くと漁網を岩壁に積んである光景に接することがあるが,ああいうのを想像してもらうとよい。

そういう物質なので,小さい分子で極性が弱いものはその網の塊のすき間をゆっくりと移動できる。これは高分子中における低分子の拡散という,実用面でも重要な現象であって,メーカーの研究所などでもよく研究されている。私はかつてゴムの中の酸素の拡散に関する研究を重要なターゲットに据えた研究室に在籍していて,その話をよく聞いていた。

とはいえ,これはひとつの可能性にすぎない。「密封した袋の中の物質が冷蔵庫の脱臭に有効」という話が事実なら,企業としてはとびついて商品化するだろう。そうはなっていない。