«前の日(09-27) 最新 次の日(09-29)» 追記

【小波の京女日記】


2013年09月28日 葛西臨海公園の自然を破壊しないようにという署名に賛同した

_ 葛西臨海公園の自然を破壊しないようにという署名に賛同した

干潟つぶしの計画に反対するキャンペーン

オリンピックのボート競技の会場建設のために,葛西臨海公園で25年に及んで再生してきた東京湾の干潟をつぶしてしまうプランが明らかになった.それに対してネットのキャンペーンが始まり,私もそれに賛同して署名した.キャンペーンのサイトはこちら

私が書いた賛同の文章は次のとおり.

日本の海岸で汽水域や干潟の生き物が生息する生態系は,環境浄化のためにきわめて重要なものであるにも関わらず,急速に減少しています.先の大震災では,更に東北地方の干潟が大きな打撃を被りました. そのような中で,都民が四半世紀をかけて回復させてきた葛西臨海公園の生態系を,オリンピックのために破壊することは,自然と人類に対する暴挙です. そもそもオリンピックは人類の平和的生存をその理念としてしており,その理念にも反するものであると考えます.

実利優先もありなのでは?というコメントをいただいた

これはフェイスブックのタイムラインにも反映され,ある大学教授の方から,コメントがついた.個人的には絶対反対ではなく,経済効果なども考えて,理想よりも実利優先ということはあるのではないかと思う,そういう指摘である. ちなみにこの方は,私とはいろいろな点で立場はことなるのだけれど,とても率直にそしてシンプルに振る舞われるので,人間的にはとても好感の持てる方である.

そのコメントに対して,私の方からは次のような意見を書いた.


オリンピックの場合,開会式や閉会式,広告,その他さまざまのところで普遍的な理念をうたうことが求められます.そこで何をアピールするかが,その国に対する世界の評価になります.もちろん日本は「先進国の証」をショウアップしたいでしょう.

これまでの例では「自然と人間の共生」,「異文化の融和」,「人種間の寛容」といったアピールが強く出されています.アトランタではジョン・レノンの「イマジン」が流れる中,モハメド・アリが聖火の最終ランナーとして登場して世界を驚かせました(内実はともかく,そして911で「アトランタ五輪の精神」は蒸発しちゃったわけですが).中国はいかにも国威発揚でド派手なことをやって,評価もそれに応じたものになりました.

そして,アテネやロンドンでは,自然との共生や文化的融和がうたわれ,設備施工においても環境破壊を最小限にしているということを「売り」にしたわけです.今の先進国の当然のトレンドです.長い目で国の地位を高めようとしたら,そこをおろそかにはできません.おっしゃるような「実利優先」も,理念を尊重するポーズぐらいはしないと,国益を損ないます(まあ IOC も建前と本音がいろいろで,それほど上質の集団ではないという気はしますけどね).

ともあれ,そういったトレンドは,もちろん日本としてもこれから見せようとするでしょう.そうでなきゃ三流国の烙印を押されます.そこで,まさか競艇のコースのために貴重な生態系を破壊するなどということはやるわけないよね?というクレームに対しては,東京都と日本政府としても,そう無碍には扱えない.海外の目はこわいですから.

私がオリンピックに期待するのは,実はそこなんですね.衆人環視の中で上品にふるまうことを要求されたら,たとえワルでも(若干言い過ぎ?)いい顔をせざるを得ないわけです.

都民の干潟への関心は薄いのではないか?

さらにその方から,確かにポーズも無視はできないという話など,いろいろとコメントがあり,その中で,近隣の住民の中で「干潟はいらない」という人が6,7割,あるいは9割いるのではないかということを指摘された.

もちろんその数字は当てずっぽうであることは本人も承知のはずで,本当のところはよくわからない.きっと,「自然は守らないといけませんね」という文脈から聞いていくか,「オリンピック会場を作って景気を良くしましょう」という文脈から聞いていくかで,数字は大幅にちがうだろう.そんなものである.

そういうことも考えながら,次のように宮城県の蒲生干潟の事例を紹介して書いた.


仙台市宮城野区に,蒲生干潟という全国的に有名な場所があります.ここは1960年台に仙台港の築港計画が持ち上がり,干潟全体が潰されることになりました.それに対して市民団体が立ち上がり.何年越しもの粘り強い運動の結果,かろうじて半分ほどの面積を残すことになりました. それは40年ほど前のことで,私が大学一年生だった当時,仙台の一番丁でその「蒲生を守る会」のデモに遭遇して,一緒に歩いたのがお付き合いの始まります.当時のデモというのは過激なものも多かった中,そのデモはシーツのような布に大きく千鳥の絵を描いて,「蒲生を守れ,蒲生の自然を守れ」とか書いてある手作りの旗を先頭に20人ぐらいで歩いていたのです.その手作り感も気に入って,自分もデモに飛び込んだのですね. そういう人たちの活動が,とにもかくにも蒲生の干潟を守ったわけです.

さて,その後,蒲生干潟は渡り鳥の飛来地,中継地としての役割の調査,汽水域での生態系の調査活動,そして毎年何回か開かれる観察会を通して,市民に認知されていきます.たとえば,すぐ近くにある仙台市立中野小学校では,全校的な取り組みとして干潟の観察や保護活動に子どもたちを参加させてきましたし,仙台市メディアテークや仙台市科学館なども,蒲生の自然を広報して,イベントを行ってきました.蒲生干潟を埋め立てるべき場所ではなく,豊かな自然を守る場所,自然の営みを学ぶ場所として,いまや完全に認知されるに至ったといえます.たとえば「蒲生を守る会」で画像検索すると膨大な資料や写真が見つかります.この会だけでなく,いくつもの団体や研究機関が関わっていることもわかります.

https://www.google.co.jp/search?q=%E8%92%B2%E7%94%9F%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%8B%E4%BC%9A&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&hl=ja&client=firefox-a&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&ei=WatFUt3TDovHkAWV84DwBw

私はこの会の正規の会員として活動したわけではありませんが,たびたび観察会に参加し,たまに講師の真似事などもしていました.子どもを持ってからは毎年一緒に連れて行って,カニを集めて遊んだものです.

そんなふうに,仙台市民の小さな運動から,やがては市民の誇りとして蒲生を認知するにいたった歴史を振り返ると,運動をすすめた人たち,そしてそれを受け入れていった行政の懐の深さ,なによりも仙台市民の見識の高さに誇りを感じることができます.そういうことが,住民の高い意識の一つの例であると思うのですね.まあそれと逆行する動きも,未だにあったりはするのですけど,基本的には立派なものです.特に教育に活用して,地元紙やテレビ局も蒲生の自然と風景をしばしば取り上げてきて,多くの市民が認知するに至ったことは,時代の進む方向に沿ってきたともいえます.

さて,東京湾の数少ない,かつ重要な生態系となってきた葛西臨海公園,これを育ててきたということは,東京都と都民の知性と文化的高さを表すものとして,世界に賞賛されるに値します.逆に都と土建屋がこれを潰すことを許すならば,イメージは失墜するでしょう.そして問われるのは,都民の意識の低さということになるでしょう.しかも世界の眼差しの中で.

オリンピックは理念を大事にしてほしい

オリンピックは創案者のクーベルタンの貴族的騎士道精神が強く反映されて始まった.今から見るとアマチュアだけの参加を認めるといった,時間と金のある上流階級のゲームだったわけだが,国際社会の発展,とりわけ第二次大戦後の反省にたって諸国の平等と融和,そして平和的生存の権利という普遍的な人類の価値をうたうようになったきた.

障害者やマイノリティの権利と社会参加がアテネやロンドン五輪の開会式や閉会式でつよくアピールされたこと,自然環境保護の訴えがなされたことは,今も記憶にあたらしい.

私は実のところ,オリンピックはようやく豊かになってきた国々がやるほうがよいと思っている.トルコなどはその意味ではいちばんふさわしかった.

とはいえ,仮に総理大臣が嘘の演説をして招致に成功したものであれ,本来のオリンピックの理念は,むしろ私にとって賛同できるものだ.きちんとそれを生かし,世界に向かって,自分たちはこんなにも成熟した普遍的な価値観に立っているのだとアピールできれば,やる意義は十分にある.