追記

【小波の京女日記】


2015年03月20日 卒業生へのはなむけの言葉 [長年日記]

_ 卒業生へのはなむけの言葉

4回生のみなさん,

ご卒業おめでとうございます.

2回生のゼミのときから,あるいは3回生から,きみたちと一緒にやってきたことが一瞬のことのようでもあり,またとても長かったようにも思われます.

みなさんは,卒論の作成に掛かってから,改めて何か一つのものをつくり上げることの難しさ,大変さに気がつき,前に学んだことを何度も振り返ったり,力不足に泣いたりしたのではないでしょうか.

それでもなんとか卒論を仕上げられたのは,1回生の時からの勉強の積み上げと,先輩たちの残してくれたたくさんのお土産があったおかげです. たまたま出会った人や,本や,人の言葉によって坂道を越えられたこともあったはずですね.それらに自分の苦労が合わさって得たものは,これからの人生の宝物です.

今日は自分の歩いてきた道を振り返り,これから自分たちの後にくる人たちに自分の宝物を贈っていくことを心に刻んでほしいと願っています.

さて,これからの社会は,とてもむつかしい問題を抱えていて,しかもどんなふうに変わっていくのか,現時点では想像もつきません.私にしても,半世紀以上にわたってこの社会を見てきて,思いもよらないことが起き,想像もつかなかった問題を抱えて,今日の社会のすがたに至ったことに,深い思いを致すことがしばしばです.そんな世の中を,君たちは目の前にしていて,不安を抱くこともあるのではないしょうか.

が,私の幼かった頃,若かった頃にも,この世界の人々は将来に不安を抱くことがありました.冷戦の最中には,いつ核戦争が起きてもおかしくはないという事態もあったりしたし,日本にも世界にもまだまだ克服できない伝染病や災害があって,みんなを脅かしていました.不景気も好景気もありました.

その後,核戦争で世界が滅亡するような危険は,今は遠ざかっています.これはよいことです. 日本脳炎,ポリオ,赤痢,破傷風などで死んだり後遺症に苦しむ人も多かったし,公害による大気や水や土壌の汚染でも,人がなくなったりしていたのです.台風にしても正確な予想で災害を食い止められるようになったのは,ここ30年ほどのことなんです.

社会的には,人種差別や部落差別などの差別問題も昔はずっとひどかったのですが,今は完全とはいえないまでもずいぶんとまともになってきました.1954年,同性愛の罪で不幸な死をとげたアラン・チューリングが,偏見を克服しつつある現代をみることができたら,夢のような気がするにちがいありません.

つまりね,いろいろと見ると,世界は確実に前進しているのです.悲観的になるのは今の瞬間だけに囚われて,過去の教訓も未来の展望にも目をつぶってしまうからです.

そして,その進歩をもたらしたのは,人文科学や自然科学を含む広範な分野の科学が成果を積み上げ,一方で立場の異なる人々の相互理解が進んできたからです.

思い込みや偏見に引きずられることなく実証的,科学的にものごとを考えること,争いや反目ではなく,相手の心や文化や生き方を理解すること,つまり智慧と信頼をもって,困難を解決しようとすることが,世界の進歩をもたらしてきたのです.逆の道を行けば,当然世界は暗くなるでしょうし,現在でもあちこちで見通しの暗い状況が起きています.解決に長い時間が掛かるものもあるでしょう.が,それらもやがて克服されていくことでしょう.

これからの皆さんにお願いしたいことをいくつかまとめておきましょう.「焦ることなくじっくりと考え,確信を心にためて行動すること」,「争いと憎しみの熱狂からは距離をとって,すべてにおいて和解と寛容を最上の解決として目指すこと」これはね,それこそ自分の家庭や職場から 世界の人との付き合いまで大切な心がけです.そのために「人は裏切るし,情けないこともあるものだけど,しかしその本性には信頼を置く」ようにしましょう,そしてなにより,「短慮に走らずに,理性的であること」と「自分の力を信じること」です.

さて,ちょっと大きな話になってしまいました.とはいえ,大きな話も小さな話も対処すべき心のあり方は同じなのです. もちろん,自分らしく生きるためには働くことが必要ですし,働くためには勉強を続けないといけません.これからも生きていく力を伸ばしていくために,前を向いて勉強をつづけてください.私もできるかぎりは皆さんを応援していきたいと思っています.

今日は,卒業おめでとう.


2015年01月17日 「放射線被曝の理科・社会」 [長年日記]

_ 「放射線被曝の理科・社会」を読んだ.

とてもまっとうな本に出会ったので,理科教育MLに読後感を書いた.以下に転載.

暮の12月20日発行のこの本を読みました.

児玉一八・清水修二・野口邦和 著 「放射線被曝の理科・社会」 かもがわ出版 http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/ha/0743.html

この本は,福島における放射能汚染の実態や,農作物等に関する検査結果 などのデータを克明に記述しており,2014年末までにおける原発事故の 影響を正確に捉えるだけでも,非常に貴重な本であると思います.

タイトルにある「理科・社会」は,国民の基礎知識としてこれだけは おさえてほしいという意欲を感じさせるもので,それを読んだ上で 自分なりの判断をしてほしいということが随所に書かれています.

本の内容は,生物化学,経済学,放射化学の専門家がそれぞれの専門を踏ま えて,福島事故による放射線に関連する諸問題を詳しいデータとともにきち んと,そしてあまりに難しくならないように配慮して,書いています.執筆 にあたって,著者たちは単純に分担せずよく原稿を読み合って,議論しなが ら本が作られたことがよくわかります.なお,清水修二さんは福島大学経済学 部の教授,副学長を歴任された方で,現在でも東北地方を中心に精力的な 講演活動を続けています.

事故から4年近くもたったこの時期に,どうしてこのタイトルの本が 書かれたかという動機のひとつとして,昨年4月にマンガ「美味しんぼ」 で放射線被曝によって鼻血が出たという記述が大きく社会問題になった ことがあるそうです.私もこの問題では「何をいまさら」と放射線に よる傷害に関する科学的無知に呆れ返り,かつ漫画家,元町長,大学 教員の無責任な発言がどれだけ多くの人々を苦しめる結果になったか, 強い憤りを感じたものです.その問題について書かれた章はとくに 読むに値するものです.

なお,この著者たちは,原発を廃止すべきだという立場を明確にしており, その上で,科学的真実は立場によらず共有すべきものであり,この本は その部分を提供するのだというスタンスが述べられています.また,科学 的に誤った言説を振りまく反原発の動きについても批判の目が向けられて います.良心的な著作として,これは多くの人に,とくに教育に携わる 人に読まれるべき本と考えて,みなさんにおすすめします.


2014年10月19日 「笑の内閣」京都公演 [長年日記]

_ 「笑の内閣」京都公演を観た

昨日の夜は劇団「笑の内閣」京都公演「福島第一原発舞台化計画-黎明編-『超天晴!福島旅行』」を観てきました.場所は下鴨塚本町で長年芝居小屋を架けているアトリエ劇研.劇団のサイトに掲載されているあらすじを下に引用しておきますので,ざっと予習したい方はどうぞ.

この劇団については,昨年,ネウヨ(ネット右翼)になって反韓に狂ってしまう若者とその彼女をコメディ化した「ツレがウヨになりまして」という芝居を観てなかなかおもしろかったので,今回も楽しみとちょっぴりの「怖さ」を抱いて出かけました.今回は,原発事故の後の福島への高校生の修学旅行という話で,それをコメディにするというのは相当に「あぶない」.それを承知で果敢に舞台化した作者・演出家の高間響の度胸のほどを見せてもらおうという,そんな期待です.

観ての感想を一言で書くと,「見事,よくやった」.

硬派のドタバタ喜劇

大津のとある高校では小さな権力抗争のドタバタがあり,その中で修学旅行を福島にしようという思い切った案が出る.出したのは,今や疎外されている遣り手教頭と先生たち.その案をめぐってドタバタまじりの,時としてシリアスな場面がエネルギッシュに展開される.最後は,激論の中で修学旅行の意味を確認した高校教員たちが,福島への修学旅行の実現へと動き出すわけです.コースは名古屋港からフェリーで仙台に行き,常磐道を南下して富岡町へ行き現地の人の案内で原発事故について学び,その後いわき,会津,猪苗代湖などを回って東京から新幹線で京都へというよく考えられたもので,脚本を書くにあたって入念な下調べがされているようです.

芝居のひとつのクライマックスは現地の放射線の危険をめぐる激論で,ここに高間さんの勉強の成果が投入されているといっていい.彼独りで何度も現地に足を運び,8月には劇団の合宿をいわきで行なった成果が,きっちりと詰められていて,この問題をずっと考え続けてきた人の胸に落ちるものでした.科学的な部分をよく押さえて,一部の人々の狂信的な「反原発」(「鼻血」とか「奇形児」とかを言い立てる人がいるわけで)の主張を事実と科学的な根拠にもとづいて論破し,一方でこの国の原発と原子力政策に対してはきっぱりと批判するという,単純ではないが理性的な態度が貫かれている.とはいえ,いろいろな状況に置かれた人々への配慮にも怠りはない.「見事」というのはそういうことです.

歌がよかった

劇中,福島出身の若い女性教師が歌う挿入歌は,ちょっとぐっと来ました.「津軽海峡・冬景色」を思わせる演歌が登場すると,客席に笑いが起きる.しかし背後のスクリーンに現在の富岡町の様子が映されて,故郷への思いが切々と歌われると,みな吸い込まれて空気が変わる.歌詞がいいのです.劇作家の「頭」の部分を職員室の激論に投入したとすると,「思い」の部分はこの歌詞に賭けたんじゃないかと思いました.理屈で表現できないデリケートな人の心の部分を歌に預けたといったらいいかも.歌が終わると大拍手で,行儀のいい京都の観客には珍しいことでした.

さて,芝居が終わった後,出口のあたりに役者さんたちが並んで見送っている前に高間さんがいたので,「よかったですよ.すごいねえ」と声をかけたら,「ありがとうございます!この子も京女なんですよ」と,すぐ脇の,さっき素晴らしい歌を聴かせてくれた女優さんを紹介してくれました.彼女にも声を掛けて「この方はウィキペディアにも出ている京女の教授なんや」.ちょっとその子と話したら発達教育学部の3回生とのこと.

それにしても,なんで高間さんはおいらを見るなりそんなことを言ったのだろうか?自己紹介して話したこともないし,どうして面が割れていたのかよう分からん.ツイッターで追いかけられていたのだろうか?ネット社会恐るべし.

 あらすじ(劇団サイトから)

滋賀県大津市にある私立高校、鷹真学園高校は3代目理事長が就任した20年前以来、管理職は必ず学園OB が勤め、外様派は冷遇されていた。しかし、2年前近隣に出来た西園寺大学附属守山高校に志願者をとられている現状に危機感を覚えた校長猿田博士は、大手予備校世阿弥ゼミナールの名物講師だった間久部録郎をヘッドハンティングし教頭に抜擢、歴代校長は必ず教頭から昇格するため、間久部が初の外様校長になるのは確実視されていた。

しかし、急進的な間久部の改革姿勢に、猿田をはじめとするOB派は反発し失脚を狙う。間久部は失脚を免れるためには、理事会の支持が不可欠であった。

そんな中、学園では修学旅行の旅行先を決める会議が行なわれようとしていた。学園は、毎年北海道に行っていたが、行程中ずっとスキーをする旅行はたいへん不評で、生徒自ら行き先を選べる西園寺に志願者が流れる原因となっていた。ここで、魅力的なプランを出せば理事会の支持が得られる、そう踏んだ外様派が出した案は「福島」であった。

果たして間久部の狙いは、政争の具なのか、真に被災地に寄り添うためなのか?笑の内閣新作は、福島に観光に行く意義を、遠い滋賀を舞台に問う学園政治劇!


2014年07月15日 喫茶店の話など [長年日記]

_ カフェ・プロコプ

パリのカフェ・プロコプ(Café Procope)は17世紀以来の最も古い歴史を持つカフェである。百科全書派のヴォルテール,ディドロ,革命の志士のロベスピエール,ダントン,マラー,浮き名を流した女流作家のジョルジュ・サンド,その他綺羅星のごとき訪問者が連綿と続いた由緒ある場所。単に由緒を誇るだけなら化石にでもできようが,常に時代の革新の先頭であり続けたことが名門の誇りなのだ。

仙台のプロコプは,その名に憧れて現在の経営者が起こした喫茶店である。入り口のドアを開けて左手にはグランドピアノが置かれたほの暗い空間が,右手には外光の差し込む明るい小部屋がある。小さいながらも調度と装飾(あえてインテリアなどとは言うまい)には品格のあるものしかない。壁にはビュッフェ,サン=ローラン,フジタの絵が掛かり,その向こうにはパリの下町の路地があるのではないかという錯覚さえ起きる。

 コーヒーはとうぜんのことながら深煎りのヨーロッパ風で,全国でもこの味を出せるところは少ない。この街にはプロコプから出て自家焙煎を始めたひとたちの店がいくつかあり,質の高い深煎りコーヒーの街の名をあげているのだが,弟子たちは今もってプロコプの味を再現できていない。温度を上げずに時間をかけて焙煎したと思われる味の深さで,コーヒーのオイルの風味と微妙な甘さがしっかりとした苦みを包み込んでいる。何も考えずブレンドを注文すればそのことは分かるはず。分けてもらった豆の袋を持ち帰って開けると,すぐにプロコプのものであることを香りで知り,同時に店の薄暗い空間までもが思い出されるほどだ。

 ちなみにこんなふうにたちどころに店がわかるコーヒーは,京都は出町柳のカミヤ珈琲でも出していたのだが,長年にわたって店頭で珈琲を煎り続けていた店主が亡くなって今は途絶えた。おそらく珈琲のかおりというものには,使い込まれた道具に染み付いたそれも加わっているのであろう。伝統のある味は簡単には作れない。

 さて,一杯ずつネルドリップを使ってていねいにいれられたカップをとって口に運べば,一瞬「ぬるい」と思う人がいるかも知れない。しかし,口の中に広がる香りとコクはなるほどこの温度でないと最高の丸みを帯びないことがすぐに納得できる。  「琥珀の女王」という水出しコーヒーも試してほしい。一晩かけて抽出されてワイングラスにつがれ,うすくクリームを浮かせた女王の液体は,やはり無理に冷やされておらずに室温のまま。控えめな甘みが付けられており,舌触りはやわらかさを帯びてその名にふさわしい。特別の豆を使っているのではない。ふつうのブレンドの豆をそのままという店主の説明である。全国にダッチコーヒーを出す店はあるものの,ここの味を知っていると不満を覚えないことがない。とびきり上質のものを知ることは,時に不幸なこともある。


2014年06月07日 「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」に賛同署名を送った [長年日記]

_ 「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」に賛同署名を送った

21世紀の憲法と防衛を考える会が設立されて賛同署名を集めているので,その趣旨に賛同して,次のコメントを送った.


私は軍隊を持たない国であることを望むもので,自衛隊も将来的にはなくすべきと考えています.とはいえ,戦後の日本が海外で人を殺すことがなく,自衛隊の活動が限定的であったことは,憲法の精神が日本社会に浸透していたからであると評価しています.

 昨今の情勢では,憲法上は内閣の権能としてあり得ない憲法解釈の変更という禁じ手を持ち出し,米国の海外戦略に自動的に組み込まれる状態が作られようとしています.さらに憂慮すべきは安倍晋三首相を中心とする政権の中枢部が,むしろ積極的に,海外での戦闘に自衛隊を参加させ,「戦死者」が出ることをさえ望んでいるように見えることです.安倍氏の個人的執念ともいうべき,靖国神社の国による崇拝の実現に向けた弾みとして「戦死者」を利用したいという,残忍な悪魔的欲望さえそこには感じられます.

 その中で,「自衛隊を活かす」という言い方には多少の引っ掛かりを感じないわけではありません.が,自衛隊が平和的な活動において力を発揮してきたという実績は誰しも否定し得ないものですし,憲法の平和主義のもとで文民統制を徹底して存続することには,異議を挟むものではありません.つまりよい形で「活かす」という方針は賛同できるものです.

国際関係の現状況の中で,日本政府に決定的に欠落しているものは,対話による問題解決の真剣な模索です.関係各国とのあつれきがどれほど大きくても,互いの国民の憎悪をかき立てて,緊張を維持し,利用するという行動は取るべきではありません.たとえ相手がそのような行動をとったとしても,理性的に全体をとらえて緊張の緩和を図るのが成熟した国家の意志と行動というものです.残念ながら,現在の内閣の姿勢は,それとはまったく相反する方向へ日本を押しやろうとしているようにしか見えません.

いま,多くの人びとが現状を憂慮して,よりまっとうな国の姿を求めております.貴会の提起も重要かつ時宜を得たものであると考えて,賛同いたします.


2014年02月16日 原発事故後の放射能汚染とセシウムの問題について [長年日記]

_ 原発事故後の放射能汚染とセシウムの問題について

Facebook で他の人にコメントするために書いたものだが,公開の意味が多少はあるかも知れないので日記に転載.

現在の除染はセシウム137に絞ってよい

現状で対策すべきγ線は,セシウム137から放出される 660keV のものに絞ればよい.これは断言して構いませんし,前提とすべきです.プルトニウムだストロンチウムだという人がいますが,それは物理や量的評価を何も知らない無知な人かトンデモさんかです.

コンクリート遮蔽が効果と費用から考えてベスト

まず,660 keV のγ線の遮蔽については,施設的にはコンクリートがコスト,環境負荷の点でもっとも優れています.それには2つの理由があります.

  • セシウム137の半減期が30年であることは周知の事実で,100年で1/10まで減っていきます.分厚いコンクリートでできた動かない構造物であれば,その間問題なくもちます.1000年もしたらコンクリートも崩れてしまうかも知れませんが,そのときには十分に減衰しきっている.
  • この660 keV のγ線のコンクリート中での透過率は 50 cm で 0.003 程度です.つまり,この厚さの遮蔽壁に囲んでしまえば,空間線量は100分の1以下に落ちるはずです.施工上は,山間や線量の高い耕作放棄地の半地下として,上から遮蔽の土のうを載せるのがよいでしょう.ちなみに土の層でも1メートルもあればかなりの遮蔽効果が期待できると考えたのですが,細かいデータが今見当たりません.

ならば,各自治体ごとに必要な場所を確保して,小さなダムを作る程度の工事をすれば,安全な置き場は確保できるのです.

セシウムイオンと粘土鉱物との結合の強さは決定的な要因

次に,セシウムイオンの化学的性質の特異性は頭に置いておかねばなりません.(化学屋にとって)興味深いことには,粘土鉱物ときわめて強くバインドしてしまい,水,酸,塩基,その他の溶剤で洗い出すことは困難です.したがって土環境からなかなか脱出しない.これは功罪の両面をもたらすことになります.

・功:置き場からの流出はほとんどない.仮に雨水が浸透して流れ出してきても,無視できる程度の流出しかない.地下水への移行も,いろいろなデータから見るとたぶん気にしなくて良い.他に作物への移行が少なくてすむという大きな利点も出てくるのですが,それは別の筋なので,割愛します.

・罪:分離や濃縮がきわめて困難.おびただしい数の試みが事故後なされていますが,一旦土中に入り込んだセシウムイオンを可溶化して分離することは,ほぼ不可能なようです(ここでもインチキが跳梁跋扈して,私は喧嘩を吹きかけて可能な限りつぶして来たのですが).

減容化と安全な貯蔵を阻む法制度の問題点

ただし,山間地の落ち葉や樹木については,焼いて灰にすることで濃縮と減容化ができるのですが,それには手がついていませんし,減容化した灰を持ち運んだり管理することが既存の法律では想定されていない,あるいは禁止されているという,法制面での障害があります.政治家は何をやっておるのかですね.

こんなことは,事故後いろいろなところに提案したりネットで発信したりもしたのですが,まったく科学的な対応が進まないところに,長嘆息せざるを得ません.


2013年10月17日 「わかってからでは遅い」は正しい不安か [長年日記]

_ 「わかってからでは遅い!」は正しい不安か

福島民報の記事から

福島民報に がんリスク測定時期尚早 国際研究機関部長が講演 という記事が出ている。

国際がん研究機関(IARC、本部・フランス)の環境と放射線部門部長でドイツ人の医師ヨアキム・シュッツ氏による講演会は16日、福島市の県医師会館で開かれ、放射線と甲状腺がんとの因果関係などについて語った。  シュッツ氏は放射線と甲状腺がんとの関係について「放射線ががんのリスク要因であることは確立されている」と述べた。一方で「(東京電力福島第一原発)事故後2年半の現在、事故と関連したがんのリスクを測定するには時期尚早」とした。

「がんのリスクを測定するには時期尚早」というのはわかりにくい表現だが,発生するガンが放射線の影響によって増加していると判断できる状態はないと言い換えてもいいだろう。

この記事を見て,「わかるのが何年も先ということだが,その時になってわかってからでは,もう遅すぎるだろう!」と感想をつぶやいた人がいた。他にも,たぶんいろいろなところで,「わかってからでは遅すぎる!」という叫びやつぶやきがもれたにちがいない。

しかしそうなのだろうか?ちょっと考えてみよう。

「わかってからでは遅い」はどういう意味だろうか?

たとえば,治療せずに放置していたら死ぬ可能性が高い病気に罹っていたとして,その発見が遅れてしまった場合,人は「わかってからでは遅すぎた!」と叫ぶにちがいない。何をするにも手遅れになってしまった。もっと早く判明していれば助かっただろうということだ。

あるいは,地球に近づく小惑星があるのにまだ発見していない。仮にぶつかったとしたら人類は絶滅しかねないサイズだとしよう。 もしも,それが見つかった時には,対策をとれるだけの距離と残り時間の限度を過ぎてしまっていたとしよう。世界はまさに「わかってからでは遅すぎた!」という阿鼻叫喚地獄になってしまうだろう。

つまり,「わかってからでは遅い」は,それより前にわかっていれば危機を回避できたはずなのに,もう無理という状況を想定した言葉だ。

それでは,放射線によるガン発生について「分かってからでは遅い」と考えた人は,何を想定しているのだろうか。それは病気や隕石への対応について考えたことと同じなのだろうか。そのことを検討してみよう。

まずポアソン分布の話を少し

この項はちょっと長いので,結論を急ぐ人は飛ばしてください。

感染症(伝染病)ではない病気の発生件数は,一般にポアソン分布と呼ばれる確率分布に従う。どういうことかというと,ある平均値があり,その前後にちょっと多かったり少なかったりするという感じで発生する。その散らばりを記述するのに使われる分布がポアソン分布で,フランスの数学者ポアソンによって導かれた。

今,サイコロを60回投げたとすると,1の目は平均して10回出る。これは確率でいう期待値というやつだ。しかしいつも10回出るわけではなく,8とか9とか,あるいは11とか12あたりに散らばり,たまにはもっと外れたりする。その「散らばり具合」を,ポアソン分布は教えてくれる。

画像の説明

ためしにサイコロを60回振って,何回 1 が出たかを数えるという操作を 50000 回ほどやってみたとしよう。もちろんコンピュータを使わないとこんなことはできないが, その結果をまとめると,右の図のヒストグラム(柱状グラフ)のようになる。 平均値の10をピークとして,出る回数が前後に散らばっているようすがわかる。ちなみに,緑色のカーブは理論的に予想される分布の形だ。

ポアソン分布の性質としては,次のことがわかっている。

  • 分布の標準偏差は平均値の平方根になる。
  • 平均値が大きい場合にはポアソン分布は正規分布とみなせる。

上のサイコロの場合だったら,$\sqrt{10} = 3.2$ が標準偏差だ。図を見ても,$10\pm3$ ぐらいの範囲にかなりの部分が収まっていることがわかる。

「平均値が多い場合」というのはちょっと漠然とした言い方だけど,大体50もあれば大きいといってもよい(この目安は,必要とする精度によって変化する)。 ということは,平均値が100であれば標準偏差は10となり,かつ正規分布とみなしてよいということになる。1000なら標準偏差は 32 程度だ。

このことを念頭に置いて,次の話に移ろう。

平常値より10%多いデータは有意に増加しているか

たとえば甲状腺がんが従来の平常値の平均で一定期間に 100 発生してきたようなケースを考えよう。この地域で放射線量が増加した。その後,実際の発生件数が10%増加して 110 になったとする。この増加は有意なものだろうか?つまり,放射線の影響で増加したのだと言えるだろうか?

上で計算したように,平常値の平均値が 100 であったとすると, 発生回数の標準偏差σは 10になる。ということは,観測された回数はちょうど σだけ増えている。一方,正規分布では,$\pm\sigma$の区間内にデータが入る確率は ほぼ 0.68 である。つまり$+1\sigma$ 程度のずれは有意ではない。これくらい のずれはありふれているのだ。

ということは,この増加が放射線の影響によるものなのか,平常値のゆらぎによ るものは判定できない。統計的に有意でないというのはそういうことである。

さて,集計する期間をその10倍にとると,症例数の期待値は1000になる。 このときの$\sigma$は32だ。 すると1000の10%増となる値 1100 は,平常値よりもほぼ3σずれていることに なる。これほどのズレは1000回に1回しか起きない。ということは, 平常値のゆらぎによる可能性はきわめて小さく,なんらかの 外的要因,おそらく放射線の効果が効いて増加したのだろうというふうに判断できるわけだ。

つまり,「10%増加した」というデータは母数が多ければ有意だし,そうでなけ れば有意ではない。判定に時間が必要というのはそういう意味であって,病気の発見に時間がかかって治療が手遅れになるという意味ではない。

とはいえ,現場にい合わせている人にとっては,とりあえず 「放射線の影響があるかもしれないという前提」を予防の対策として持っておかないといけない。まさに,その事態に備えるために検診があるわけなので,しっかり利用すべきだということはまちがいない。それは同時に,統計的なデータを早く確実なものにする役にも立つ。

「わかってからでは遅い」の意味

「分かってからでは遅い」という言葉は,日常的によく使われている。 その意味,つまり何が不安の内容なのかということは,考えておかないといけない。

胃の検診を例にとってみよう。この場合「分かってからでは遅い」というのは,ガンが進行してしまってから発見するのでは遅すぎるという意味だ。それを避けるには,なるべく検査の頻度を多くして,発生したがんが早期発見されるようにすることが必要だ。

では,甲状腺ガンに放射線が影響していることが確実であることが分かる(かどうか予測できないが)のが仮に20年後だったとしよう。それはガン死を増やすことになるのだろうか?考えどころはそこだ。

放射線の影響の確定に時間がかかっているのはよいことだ

実は,判明するのが遅ければ遅いほどよい。たくさんの症例が集まらなければならないほどに,影響が微かなものだったということになるわけだから。その意味では,現時点でまだ影響が有意にあるということになっていないのは,よいことなのだ。

それでは「分かってからでは遅い」という世間的な意味で考えるとしたら,何をおそれなければならないだろうか?

当然,ガンが早期発見できなくて手遅れになることを恐れるべきだ。それはしかし,疫学的に影響が有意であることが確定することが遅いということとは,まったく別のことなのだ。

子どもが甲状腺がんにもしも罹ったとして,手遅れになるというのは,要するに発症から発見までに時間がかかるという意味だ。 それを避けるのは検診をまめにやるということ以外の何もない。肝心のそのことを怠れば,字義通りに「分かってからでは遅かった」ということになってしまうだろう。

繰り返しになるが,「分かってからでは遅い」の意味は,放射線の影響が疫学的に確定するのに時間がかかるということとは,まったく意味がことなるということを知っておかないといけない。


2013年09月28日 葛西臨海公園の自然を破壊しないようにという署名に賛同した [長年日記]

_ 葛西臨海公園の自然を破壊しないようにという署名に賛同した

干潟つぶしの計画に反対するキャンペーン

オリンピックのボート競技の会場建設のために,葛西臨海公園で25年に及んで再生してきた東京湾の干潟をつぶしてしまうプランが明らかになった.それに対してネットのキャンペーンが始まり,私もそれに賛同して署名した.キャンペーンのサイトはこちら

私が書いた賛同の文章は次のとおり.

日本の海岸で汽水域や干潟の生き物が生息する生態系は,環境浄化のためにきわめて重要なものであるにも関わらず,急速に減少しています.先の大震災では,更に東北地方の干潟が大きな打撃を被りました. そのような中で,都民が四半世紀をかけて回復させてきた葛西臨海公園の生態系を,オリンピックのために破壊することは,自然と人類に対する暴挙です. そもそもオリンピックは人類の平和的生存をその理念としてしており,その理念にも反するものであると考えます.

実利優先もありなのでは?というコメントをいただいた

これはフェイスブックのタイムラインにも反映され,ある大学教授の方から,コメントがついた.個人的には絶対反対ではなく,経済効果なども考えて,理想よりも実利優先ということはあるのではないかと思う,そういう指摘である. ちなみにこの方は,私とはいろいろな点で立場はことなるのだけれど,とても率直にそしてシンプルに振る舞われるので,人間的にはとても好感の持てる方である.

そのコメントに対して,私の方からは次のような意見を書いた.


オリンピックの場合,開会式や閉会式,広告,その他さまざまのところで普遍的な理念をうたうことが求められます.そこで何をアピールするかが,その国に対する世界の評価になります.もちろん日本は「先進国の証」をショウアップしたいでしょう.

これまでの例では「自然と人間の共生」,「異文化の融和」,「人種間の寛容」といったアピールが強く出されています.アトランタではジョン・レノンの「イマジン」が流れる中,モハメド・アリが聖火の最終ランナーとして登場して世界を驚かせました(内実はともかく,そして911で「アトランタ五輪の精神」は蒸発しちゃったわけですが).中国はいかにも国威発揚でド派手なことをやって,評価もそれに応じたものになりました.

そして,アテネやロンドンでは,自然との共生や文化的融和がうたわれ,設備施工においても環境破壊を最小限にしているということを「売り」にしたわけです.今の先進国の当然のトレンドです.長い目で国の地位を高めようとしたら,そこをおろそかにはできません.おっしゃるような「実利優先」も,理念を尊重するポーズぐらいはしないと,国益を損ないます(まあ IOC も建前と本音がいろいろで,それほど上質の集団ではないという気はしますけどね).

ともあれ,そういったトレンドは,もちろん日本としてもこれから見せようとするでしょう.そうでなきゃ三流国の烙印を押されます.そこで,まさか競艇のコースのために貴重な生態系を破壊するなどということはやるわけないよね?というクレームに対しては,東京都と日本政府としても,そう無碍には扱えない.海外の目はこわいですから.

私がオリンピックに期待するのは,実はそこなんですね.衆人環視の中で上品にふるまうことを要求されたら,たとえワルでも(若干言い過ぎ?)いい顔をせざるを得ないわけです.

都民の干潟への関心は薄いのではないか?

さらにその方から,確かにポーズも無視はできないという話など,いろいろとコメントがあり,その中で,近隣の住民の中で「干潟はいらない」という人が6,7割,あるいは9割いるのではないかということを指摘された.

もちろんその数字は当てずっぽうであることは本人も承知のはずで,本当のところはよくわからない.きっと,「自然は守らないといけませんね」という文脈から聞いていくか,「オリンピック会場を作って景気を良くしましょう」という文脈から聞いていくかで,数字は大幅にちがうだろう.そんなものである.

そういうことも考えながら,次のように宮城県の蒲生干潟の事例を紹介して書いた.


仙台市宮城野区に,蒲生干潟という全国的に有名な場所があります.ここは1960年台に仙台港の築港計画が持ち上がり,干潟全体が潰されることになりました.それに対して市民団体が立ち上がり.何年越しもの粘り強い運動の結果,かろうじて半分ほどの面積を残すことになりました. それは40年ほど前のことで,私が大学一年生だった当時,仙台の一番丁でその「蒲生を守る会」のデモに遭遇して,一緒に歩いたのがお付き合いの始まります.当時のデモというのは過激なものも多かった中,そのデモはシーツのような布に大きく千鳥の絵を描いて,「蒲生を守れ,蒲生の自然を守れ」とか書いてある手作りの旗を先頭に20人ぐらいで歩いていたのです.その手作り感も気に入って,自分もデモに飛び込んだのですね. そういう人たちの活動が,とにもかくにも蒲生の干潟を守ったわけです.

さて,その後,蒲生干潟は渡り鳥の飛来地,中継地としての役割の調査,汽水域での生態系の調査活動,そして毎年何回か開かれる観察会を通して,市民に認知されていきます.たとえば,すぐ近くにある仙台市立中野小学校では,全校的な取り組みとして干潟の観察や保護活動に子どもたちを参加させてきましたし,仙台市メディアテークや仙台市科学館なども,蒲生の自然を広報して,イベントを行ってきました.蒲生干潟を埋め立てるべき場所ではなく,豊かな自然を守る場所,自然の営みを学ぶ場所として,いまや完全に認知されるに至ったといえます.たとえば「蒲生を守る会」で画像検索すると膨大な資料や写真が見つかります.この会だけでなく,いくつもの団体や研究機関が関わっていることもわかります.

https://www.google.co.jp/search?q=%E8%92%B2%E7%94%9F%E3%82%92%E5%AE%88%E3%82%8B%E4%BC%9A&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&hl=ja&client=firefox-a&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&ei=WatFUt3TDovHkAWV84DwBw

私はこの会の正規の会員として活動したわけではありませんが,たびたび観察会に参加し,たまに講師の真似事などもしていました.子どもを持ってからは毎年一緒に連れて行って,カニを集めて遊んだものです.

そんなふうに,仙台市民の小さな運動から,やがては市民の誇りとして蒲生を認知するにいたった歴史を振り返ると,運動をすすめた人たち,そしてそれを受け入れていった行政の懐の深さ,なによりも仙台市民の見識の高さに誇りを感じることができます.そういうことが,住民の高い意識の一つの例であると思うのですね.まあそれと逆行する動きも,未だにあったりはするのですけど,基本的には立派なものです.特に教育に活用して,地元紙やテレビ局も蒲生の自然と風景をしばしば取り上げてきて,多くの市民が認知するに至ったことは,時代の進む方向に沿ってきたともいえます.

さて,東京湾の数少ない,かつ重要な生態系となってきた葛西臨海公園,これを育ててきたということは,東京都と都民の知性と文化的高さを表すものとして,世界に賞賛されるに値します.逆に都と土建屋がこれを潰すことを許すならば,イメージは失墜するでしょう.そして問われるのは,都民の意識の低さということになるでしょう.しかも世界の眼差しの中で.

オリンピックは理念を大事にしてほしい

オリンピックは創案者のクーベルタンの貴族的騎士道精神が強く反映されて始まった.今から見るとアマチュアだけの参加を認めるといった,時間と金のある上流階級のゲームだったわけだが,国際社会の発展,とりわけ第二次大戦後の反省にたって諸国の平等と融和,そして平和的生存の権利という普遍的な人類の価値をうたうようになったきた.

障害者やマイノリティの権利と社会参加がアテネやロンドン五輪の開会式や閉会式でつよくアピールされたこと,自然環境保護の訴えがなされたことは,今も記憶にあたらしい.

私は実のところ,オリンピックはようやく豊かになってきた国々がやるほうがよいと思っている.トルコなどはその意味ではいちばんふさわしかった.

とはいえ,仮に総理大臣が嘘の演説をして招致に成功したものであれ,本来のオリンピックの理念は,むしろ私にとって賛同できるものだ.きちんとそれを生かし,世界に向かって,自分たちはこんなにも成熟した普遍的な価値観に立っているのだとアピールできれば,やる意義は十分にある.


2013年09月15日 「特定秘密の保護に関する法律案の概要」へのパブリックコメント [長年日記]

_ 「特定秘密の保護に関する法律案の概要」へのパブリックコメントを提出した


パブリックコメント募集のページに,下のコメントを送った.


民主主義は国民の多様かつ自由な意志と言論の自由によってのみ支えられるものであり,それらの自由が制限されることは憲法と世界人権宣言の上から許されるものではありません.意見募集にかかる法律案は,防衛,外交,安全脅威活動の防止、テロ活動防止について制限を課すことができるというものですが,防衛や外交における秘密の暴露は,国民の利益のためになされ,結果的に国の過ちを防ぐことになった事例が世界の歴史上少なくありません.

特に報道機関,言論人,団体の活動が公益のためという口実で抑圧され,諸国が戦争に巻き込まれていった歴史に学べば,この法案の危険な性格は明らかです.

さらにこの法案によれば,特定秘密として保護される情報の範囲は曖昧で,解釈の幅は法律を運用する政府の都合によって定められ,司法によって事後的に解釈されることになります.仮にこの法が適用される以前においてさえ,その曖昧さは報道や言論に対する暗黙の制止の効果を持つことになります.

日本の現状において今もっとも重要なことは,国民生活に関わる情報を公の利益の名のもとに制限することではありません.警察や検察の取り調べが闇の中で行われたことが,村木厚子さん始め多くの人に冤罪を押し付けたこと,今もなお東京電力が重要なデータを秘匿していることがジャーナリストによって暴露されて,国民の知る権利を守っていること等々を考えると,今なすべきことはまったく逆です.このような法案の作成ではなく,情報公開を更に進めるための新しい立法と制度の確立につとめるのが,国として本筋と考えます.

以上を踏まえて,私は本法律案に反対します.

なお,このような重要な法律案に対するパブリックコメントの提出期限があまりにも短いことは大きな問題と考えます.期限の延長,あるいは再度の意見の募集を行われるよう希望します.


2013年09月11日 1971年9月11日,チリ・クーデター [長年日記]

_ 1971年9月11日,チリ・クーデター

40年前の今日始まったこと,そして日本の報道

1973年9月11日,多分日本時間では12日になっていただろうが,チリのアジェンデ政権がクーデターによって転覆させられたニュースに,ぼくは布団から跳ね起きた.そのまま立ち尽くして,アメリカ帝国主義ということばを何度も口につぶやき続けた.まだ大学生のときだ。

日本でのほとんどの報道は,NHKも含めて,チリの過激な左翼政権が国民の不満を背景にした軍部によって倒されたという論調だった.が,選挙によって民主的に樹立された政権は,それが国民を武力で抑圧する事態にでもなっていない限り,クーデターや武力で倒されることなどあってはならない.その一点で,これはまぎれもなく人類の歴史を裏切る事件であることが,明らかだった.背景もどんな理屈も,民主主義の大原則の前には何の理由にもならない.

チリの惨劇とアメリカ帝国主義

それから何年もの間,チリではすさまじい拷問,虐殺が行われ,サッカー場が監獄となり,抵抗の歌を歌ったビクトル・ハラはギターを持てないように両手の手首を銃で撃たれたという話も伝わってきた.これは後に作られた伝説であるとされ,事実は歌っているところを兵士に連行されてただちに銃殺されたらしいが,もちろん残酷さに何のちがいもない.

そして,チリ人の財産である農場や鉱山が再びアメリカと国際資本の手に「回収」されていったプロセスを,ぼくらは徐々に知ることになった.クーデターを糸引きしたのがアメリカのCIAであり,ニクソン大統領とキッシンジャー博士であったことも.

日本での報道はまた,アジェンデ政権の国有化路線によって猛烈なインフレが起きて国民が困窮していたのが原因とも言っていた.が,それも豊富な銅資源の横取りを阻止された国際資本が起こした経済クーデターが先行したことが,後に明らかになった.インフレも仕組まれていたのだ.そして凄まじい軍政が続き,何万人もの人が投獄され,殺された.国外に逃れてチリで起きた地獄を伝えてあるく人々にも,当時のぼくらは直接に会うことができた.

そうそう,戒厳令下のチリに潜入したメキシコの作家ガルシア・マルケスの手記も岩波新書で読んだし,コスタ・ガブラスの映画「サンチャゴに雨が降る」もあった.フォルクローレが日本で大流行したきっかけの一つが,亡命してチリのフォルクロールを歌い歩いたグループ,キラパジュンやインティ・イリマニなどの活動だったということには,ずいぶんと複雑な思いに駆られてしまうのだが.

あの惨劇によって開かれた世界

そうしてこの40年を通して判明したことは,あの事件はまさにミルトン・フリードマンが主導する新自由主義の幕を開けた,今日の世界への扉だったことだ.つまり,あれは世界を根本的に国際資本のために改造するための,世界史の転換点であったということになる.

その世界史的な意味付けは,最近読んだ中山智香子さんの『経済ジェノサイド――フリードマンと世界経済の半世紀』(平凡社新書)で知ることになった.この本によって,40年前の自分が現在へとつながったというわけだ. この本は,20世紀後半の世界史を知る上で必読ともいっていいと思う.

アジェンデ最後の演説

さて,この40年を思い起こしながら,今残されているアジェンデ大統領の最後のラジオ放送の声を聞くことにしよう. アジェンデ最後の演説(日本語字幕付)

 わが祖国の労働者たちよ  私はチリと,その運命を信じています  私に続く人々が,  裏切りの支配するこの灰色で苦い時代を  乗り越えていくでしょう  おそかれ早かれ,  よりよい時代を築くために  人々が自由に歩くポプラ並木が  また開かれるでしょう

  66歳,壮絶な死を前にして,こんなにも力あふれる詩のようなことばを国民に語る大統領がいた.そして軍隊の総攻撃の中で彼は死んだ.

チリはふたたび立ち上がった

もちろん,話はここで終わっていけない.終わらなかった.チリは苦難の時を経てふたたび民主主義を取り戻し,ピノチェトは断罪された.チリの人々は今日も,ポプラ並木の下を家族や友人と語らいながら歩くことだろう.

ぼくらの世界も,そろそろ変わらなければいけない.